この20年間は何だったのか、とむなしさが募る。米軍が2001年9月の米中枢同時テロで始めたアフガニスタンでの戦争とその後の駐留を終え、撤退した。アフガンは女性らの権利を制限するイスラム主義組織タリバンの統治に逆戻りし、「イスラム国」(IS)系組織による大規模な自爆テロも起きた。
「二度とテロの温床にしない」と始まった「米史上最長の戦争」の成果は無に帰したとの印象だ。
ブッシュ元大統領からバイデン大統領まで4代の大統領が指揮したアフガンでの戦争は一貫して迷走した。目的がテロ撲滅から親米国家樹立に移り、11年春に国際テロ組織アルカイダ指導者のビンラディン容疑者を殺害してからは米国は急速に関心を失い、最後はなりふり構わず撤退を急いだ。
戦費総額は2兆3千億ドル(約250兆円)に膨らみ、米兵死者は2461人だが、アフガン側も合わせれば犠牲者は17万人を超すという。20年を経た明白な結果は米国の衰退であろう。
米国が軍事力でイスラム圏の政権を倒し親米政権を樹立する試みは、地域情勢を軽んじた乱暴なもので疑問視されてきた。米国の一部で偏狭な「イスラム嫌い」も浮かび上がり、米国の理念を損なった。03年3月には、米国は根拠もなくイラク戦争を始め、アフガンに専念しなかった。
バイデン氏は撤退に当たって、「米国の国益に合わない」と自国本位の説明をし、民主的な国家建設や各派統合の国軍づくりをあっけなく放棄した。民主化に望みを抱いて協力してきたアフガン人たちは、打ち捨てられた思いだろう。
この米国の冷酷さは、米軍撤退を8月末の期限に合わせて進めたものの、危険にさらされるアフガン人通訳らの退避をなおざりにした点に象徴的に表れた。カブールの空港周辺に集まった人々の苦悩にもかかわらず、バイデン氏は演説で「退避は大成功」と述べた。
同盟国との連携も不十分だった。英国などが民間人退避のために米軍の駐留延長を求めても聞く耳を持たなかった。日本も含めて多くの国の退避計画は、肝心の空港を管理する米軍が撤退するために、打ち切らざるを得なかった。
撤退はトランプ前政権が昨年2月にタリバンと結んだ合意に従ったものだが、前提はタリバンとアフガン政府の和平協議の進展だった。タリバンの協議拒否で撤退の前提が崩れたにもかかわらず、米国は撤退にこだわった。バイデン氏が選挙公約を実現することで国内世論へのアピールを優先した意図がうかがえる。
バイデン氏はトランプ氏の米国第一主義から国際協調への転換を宣言したが、これではトランプ氏と変わらないのではないか。米国は世界のリーダーの地位を捨てたとの批判もうなずける。
米国は中国をにらみ、インド太平洋地域に勢力を振り向けると強調し専制国家に対する「民主主義陣営の結束」を掲げる。だが今回の行動を見れば、こうした方針も看板倒れに終わるのではと不信感が拭えない。
今の複雑な国際社会では軍事力偏重の政策は効果がない。対決ではなく地域の意向を尊重した粘り強い外交こそが、アフガンだけでなくアジア太平洋地域でも求められる。それが20年間の戦いの教訓ではないか。