太平洋戦争では海軍の気象担当士官を務め、戦後は気象庁に勤務。研究のかたわら、反戦や非核を訴えて行動し、年齢を重ねてからもSNSで発信を続けた1人の学者が2025年6月、101歳の生涯を閉じた。

 学者の名前は、増田善信さん。語っていたのは「天気予報は平和のシンボル」という言葉だ。その言葉は、終戦間際に沖縄に向かう爆撃機を見送った苦い思い出と深く結びついている。(共同通信=川村敦)

 ▽「気象管制」の始まりを目の当たりに

 増田さんは1923年生まれ。今の京都府京丹後市の出身だ。著書によると「貧しい農家の二男」だった。1941年に中学を卒業し、京都・宮津にあった気象の観測所に勤務した。

 後に、増田さんが繰り返し語っていたのは、太平洋戦争が始まった1941年12月8日のことだ。

 その日、増田さんは当番だった。夕方になって、モールス信号で送られてくる各地の観測結果を受信して天気図に記...