主人公・カンナの原画
主人公・カンナの原画
『神在月のこども』のホームページで公開している「制作追体験」
『神在月のこども』のホームページで公開している「制作追体験」
主人公・カンナの原画
『神在月のこども』のホームページで公開している「制作追体験」

 2009年に立ち上げた弊社に三島鉄兵が仲間入りしてはや9年。彼とは「En_ni_Kiraboshi」(縁にきら星)というスローガンを掲げ、出逢(あ)う全てのご縁から、きら星のような感動を生みだすクリエーションに挑戦し続けてきました。

 時には世界的な映画会社、時には日本を代表するトップメーカー。数々のクライアントやパートナーとのご縁に恵まれ、幾つものプロジェクトを乗り越えた年月は、世界を感動させうるクリエーションを目指す僕の夢を、彼がかなえてくれた時間でもありました。

 そして10余年の時を経て、折しも五輪や万博で世界が日本に衆目する中、この島国の根と書く島根のご縁をアニメーションで描く『神在月のこども』にたどり着いたのです。

 世界に響かせる私の夢と、故郷を愛する彼の夢とが交わった、ご縁の結晶。その誕生を「応縁」して頂けますと幸いです。(『神在月のこども』原作者・四戸俊成)

出雲のアニメ
 出雲を舞台にしたアニメ映画「神在月のこども」が2021年の全国公開を目指し、鋭意制作されている。企画を担当するのが松江市出身の三島鉄兵さんだ。作品の内容はまだベールに包まれており、今後順次情報を公開する。今回、連載を開始する三島さんのコラム「ご縁の成る記」では、アニメーションが生み出されていく現場の様子を、原画や写真を交えながら紹介してもらう。

 初めまして。劇場オリジナルアニメーション映画『神在月のこども』のプロデューサー、三島鉄兵です。故郷でもある山陰を舞台にした作品を21年、全国の劇場で公開するという夢をかなえるべく奔走しています。公開を迎えるその日まで、定期的にこのコラムにて作品にまつわる話やご縁などを皆さんにちょんぼしづつ(少しずつ)お伝えしていきたいと思います。

 まずは何を置いてもこの人とのご縁から、本作が生まれたことを紹介しておかなければなりません。僕が所属する有限責任事業組合「cretica universal.LLP(クリティカ・ユニバーサル・エルエルピー、神戸市)の代表を務める四戸(しのへ)俊成です。

 約9年間、彼とともに企画・プロデュース業に励んできました。ぴんとくる方もいるかもしれませんが、彼こそが本作の原作者であり生みの親なのです。

 実は、加入当初から彼に「いずれどんな形でもいいから故郷に錦を飾りたい」と語り続け、18年、僕の帰省に合わせ、彼と一緒に山陰を訪れた時のこと。雨上がりの雲間から太陽の光が方々を照らし始めた様子がものすごく神々しく、その時、彼の口から出た「ここには神様が在(い)るね」という言葉こそが『神在月のこども』を生みだす意志と確信を得た瞬間だったのです。

 今回、主人公・カンナが驚きを浮かべる表情の原画(アニメの元になる絵)を掲載しました。このコラムのお話を頂いた時の僕の表情に酷似しています。(プロデューサー・三島鉄兵)

 三島鉄兵/みしま・てっぺい 『神在月のこども』企画・プロデューサー。1979年、松江市出身。cretica universalでは映画、漫画、テーマパークなどさまざまなシーンで企画・プロデュースを担当。

制作を追体験
 『神在月のこども』は、ホームページ上で「制作追体験」としてメイキング映像を随時公開している。

 フランス・マルセイユで開かれた「ジャパンエキスポ」での制作発表記者会見の様子や江津市にゆかりがあり、今作で初めてアニメーション監督を務める白井孝奈さん(31)=滋賀県出身=らのインタビューをはじめ、新型コロナウイルスの感染拡大でスケジュールの見直しを迫られるスタッフ同士のリアルなやりとりなど、実際に制作現場で起こっていることを伝え、私たちも一緒に見守りながら完成まで並走してもらう狙いだ。

 三島鉄兵さんが連載するコラム「ご縁の成る記」は、ホームページ上の制作追体験とも連動している。三島さんが企画担当として制作に携わる中、現場で起こる出来事をどのように捉え、感じていたのか。本作に関わるさまざまなご縁の成り立ちとともにつづる。

 スマートフォンでQRコードを読み取ると作品のホームページにつながる。今回の映像は、『神在月のこども』の世界観をいかに描くか美術監督と語らった際のメイキング映像だ。

 ストーリー 主人公は走ることが大好きな小学生・カンナ。やおよろずの神々が10月に出雲に集うとされる「神在月(かみありづき)」を題材に、母親を亡くしたカンナが不思議な少年とウサギに導かれ、出雲を目指して走り始める物語。作中には、神々を迎える稲佐の浜(出雲市大社町杵築北)などが登場する。制作は2018年に本格始動した。