大雨のため出雲市多伎町で地滑りが発生し、JR山陰線の江南―田儀駅間の列車が43日間、運休になった。代替バスが運行されたが、通学生が駅前からすぐバスに乗り降りできるよう、駅前の地権者が柵の撤去に応じ、便宜を図った。大雨、地滑り、列車運休という厳しい出来事に遭遇しながらも、地元の善意に「地域の足」が支えられた。協力した地権者の男性に話を聞いた。(Sデジ編集部・宍道香穂)
片道300メートルを歩いて移動
代替バスは島根県とJR西日本米子支社が大型バスを用意した。バス運行の当初、江南駅前の道に入る曲がり角は道幅が狭く、大型バスが通行できなかった。バスは曲がり角の手前で停車し、利用者はそこで乗り降り。駅までの片道約300メートルを歩いて移動した。足が不自由な人や高齢者にとっては負担で、朝夕の時間帯に大勢が利用する高校生の安全確保という点でも課題があった。
駅前の交差点の角に10メートル×19メートルの角地の私有地があり、土地を囲むように柵が立てられていた。土地の柵がなければバスが曲がれると、バスを運行する中国JRバスが土地の所有者に連絡をとり、相談した。

土地の所有者は出雲市多伎町小田の石飛昭文さん(49)。出雲市塩冶町のすみれ保育園で園長を務める。連絡を受けた石飛さんは「すぐに通れるようにしてください」と、柵の撤去と私有地のバス通行を快諾し、柵は撤去された。道幅が広くなったことでバスが通れるようになり、利用客は駅前で乗降でき、乗り継ぎが楽になった。

石飛さんが所有する角地。この土地を囲むように柵が立っていた。画面左奥に伸びているのが江南駅へと続く道。
学生に負担「忍びない」
石飛さんが土地を購入したのは2年前。「通勤時に立ち寄りやすい場所なので、倉庫を置いて荷物置き場にしようと思って」という。土地を囲む鉄製の柵は購入前から設置されていた。購入後、手つかずのままでいたところ、今回、バスの通行について相談を受けた。石飛さんは「列車というライフラインがなくなり不便な中、勉学に励む生徒たちに負担がかかるのは忍びない」と、思っていた。
すみれ保育園に実習生として訪れる中学生や高校生との関わりもあり、列車で通学している世代は身近な存在。また、石飛さんの自宅は地滑りがあった場所から近い多伎町小田にあり、列車が使えず困っている人が近所にもいるかもしれないと、運休を身近な困りごとと感じていた。少しでも力になれたらと、所有地をバスが通れるよう速やかに対応した。

最近の子どもたちを見て思うこと
石飛さんは、保育園の園長として日々、子どもたちと触れ合っている。「学童保育もしているのですが、最近の子どもたちは勉強を大切にしていると感じます。私が子どもの頃は、学校から帰ったら宿題なんて後回しで遊んでいました。今の子どもたちは、きちんと宿題を終わらせてから遊ぶのです」と話し、子どもたちの学びに支障が出るのは、避けなければならないと思ったという。

自身も断水の被害に
石飛さん自身も、地滑りの影響で断水の被害を受けた。「断水は大変でした。ちょうど息子の1歳の誕生日で、水が出ない中でお祝いをしました」と苦笑して振り返る。
地域で暮らすには大雨被害で困難な状況が続いたが、民間企業が給水に駆けつけてくれたり、住民同士で励まし合ったりと、人の温かさに触れることができ、悪いことばかりではなかったと振り返る。「自由に水が使えることや列車が通常通り走っていることなど、当たり前の日常のありがたみを実感できました」。
1ヶ月半という異例のスピードで列車の運転が再開し、生徒たちは従来のように列車通学ができるようになった。運転再開から5日後の7日、JR西日本米子支社から石飛さんに感謝状が贈られた。爽やかな秋晴れのもと、佐伯祥一支社長がすみれ保育園を訪れ、「私有地をバスが通れるようにしていただいたおかげで、代替輸送の安全性、利便性が向上しました」と感謝状を手渡した。石飛さんは「まさか感謝状が贈られるなんて思っていませんでした」と、少し緊張した様子で、園児たちに見守られながら感謝状を受け取った。

小田にある石飛さんの自宅からは列車が見えるといい、「列車が通らない日々が続き、さみしかったです。運転再開となり、また家から列車を眺められるのが楽しみです」とうれしそうに話した。子どもたちから慕われる園長先生の思いやりに触れ、心が温まった。