自らを「歴史探偵」と呼んだ昭和史研究の大家・故半藤一利さんの最後の原稿をまとめた「戦争というもの」(PHP研究所)の最終ページには自筆の言葉が記されている。「戦争は、国家を豹変(ひょうへん)させる、歴史を学ぶ意味はそこにある」
80年前の1941(昭和16)年12月8日午前6時、大本営陸海軍部は「本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と発表、太平洋戦争が始まった。日本放送協会のラジオが開戦の臨時ニュースを伝え、真珠湾攻撃成功などを報じる。45年8月15日の終戦まで、民間人も含め日本人だけで310万人の犠牲者を出した。
なぜ、この無謀な戦争に突き進んだのか、国民の命や暮らしを守るはずの政治が役割を果たせなかったのか、過ちを繰り返さぬよう歴史に学び、その教訓をかみしめたい。
自民党の石破茂元幹事長らは、必読の書として、猪瀬直樹さんの「昭和16年夏の敗戦」を挙げる。1941年4月に、政府が30代のエリート官僚や軍人、民間企業、日銀などの精鋭三十数人を集め立ち上げた「総力戦研究所」を追ったものだ。
研究所が日米開戦のシミュレーションをした結果、導き出された結論は、国力に圧倒的な差があり、奇襲作戦に成功しても日本の勝機はなく、戦争は長期化し、日本は敗れるという内容だった。しかし、これは実権を握っていた東条英機陸相(後に首相)に「机上の演習」と一蹴されてしまったという。
教訓として浮かび上がるのは、耳の痛い意見も含め英知の結集を拒んだ指導者の独善的な姿勢。「不都合な真実」に真正面から目を向けず、賢明な判断を下せない政治の機能不全。そして大本営発表と称し、正確な情報を明かさないまま、国民のナショナリズムと戦意をあおった説明責任の欠落ではないか。2年弱にわたる新型コロナウイルスへの対応にも共通するものが潜んでいる。
80年前と異なり、SNSの普及によって、勇ましい言葉があちこちで飛び交い、誤った情報でも瞬く間に拡散する景色が広がる。私たちはいま、情報の真偽を見極める力が試されている。同時に、かつて大本営発表をうのみにして伝えた新聞も、当時の報道姿勢を自戒しなければなるまい。
岸田文雄首相は今月6日の所信表明演説で日本を取り巻く安全保障環境が急速に厳しさを増しているとして「敵基地攻撃能力も含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討し、スピード感をもって防衛力を抜本的に強化していく」と表明した。
日本外交の基軸は、言うまでもなく、日米同盟だ。一方で国連をはじめとした国際協調も重要な柱だろう。
米国と中国の覇権争い、中国の軍備拡張や海洋進出、北朝鮮の核、ミサイル開発などに対応するには、一定の防衛力の整備も必要だが、防衛力の強化だけで脅威を克服できるわけではない。逆に、軍拡競争を招き、安全保障のジレンマに陥る可能性もある。中国や韓国といった近隣諸国との関係改善を含め、外交の力が何よりも求められている。
「外交の敗北の行き着く先が戦争だ」というのは、歴史が証明している。不戦の誓いを新たにし、不測の事態に発展しかねない要因を一つずつ取り除いていく、地道で重層的な外交を追求していかなければならない。