同じ2月に節目の日を迎える領土問題なのに、どうしてこうも政府の対応は違うのだろう。北方領土と竹島問題のことだ。

 7日の「北方領土の日」は政府が1981年に制定した。今年、東京都内で開催された「北方領土返還要求全国大会」は、新型コロナウイルス禍によって参加人数が制限されたものの、岸田文雄首相が出席。ロシアとの過去の合意を踏まえ「領土問題を解決して平和条約を締結するとの方針の下、粘り強く交渉を進める」と決意を表明した。

 対照的に22日の「竹島の日」は、政府の反対を押し切る格好で島根県が2005年に制定。記念式典には、首相はともかく関係閣僚の出席を求め続けているにもかかわらず、13年から内閣府政務官が出席するのみにとどまる。まるで韓国側の顔色をうかがっているかのようだ。

 北方領土返還要求運動は、終戦直後の1945年12月1日、当時の安藤石典(いしすけ)根室町長が連合国最高司令官マッカーサー元帥に対し、「歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島は、古くから日本の領土であり、地理的にも歴史的にも北海道に付属するこれらの小諸島を米軍の保障占領下に置かれ、住民が安心して生業につくことのできるようにしてほしい」という趣旨の陳情書を取りまとめたことが始まりとされる。

 北方領土の元島民をはじめ、四島と隣接する根室の人々によって上げられた領土返還要求の声は、北海道全域、さらに全国各地へと展開。運動開始から36年たってようやく、国が「北方領土の日」を制定した。

 竹島を巡っては、2012年に領土問題担当相、13年に内閣官房に領土・主権対策企画調整室が設置されており、政府の動きは早いのかもしれない。

 だが、目指すべきは政府の関与を強めることではない。あくまでも領土権の確立だ。

 高齢になった北方領土の元島民が「生きているうちに島に帰りたい」と願うのと同様に、竹島周辺の漁場で操業できない島根、鳥取両県の漁業者にとっては、領土権確立は死活問題である。生活者の視点に立って、迅速に対応に当たってほしい。

 手詰まりが続く現状では、北方領土と竹島という領土問題を抱える関係者同士が連携を強化し、問題解決に向けて国を動かすという視点も必要だろう。

 13年前、北方領土問題の世論啓発や調査、研究に当たる「北方領土問題対策協会」の間瀬雅晴理事長(当時)に取材した際の言葉が今も胸に残っている。

 「問題の生い立ちや島民の有無こそ違えど、領土問題という意味では北方領土も竹島も重要度は同じ。尖閣諸島も含めて、領土問題は一蓮托生(いちれんたくしょう)。関係組織が綿密に連絡を取り合い、連携して対応することも必要だ」

 当時、北方領土関係者は竹島の活動が刺激になると喜んでいたが、事態に進展は見えない。

 北方領土のロシア人住民と元島民の日本人らが相互に往来する「ビザなし交流」が始まって今年で30年を迎えたものの、返還の兆しは見えない。加えてコロナ禍で2年前から中止されており、元島民は「このままだと問題自体が立ち消えになる」と懸念を強める。

 2月22日に松江市で開催される「竹島の日」記念式典には、「竹島・北方領土返還要求運動県民大会」の名称が付く。問題解決へ国を動かすよう、今こそ竹島と北方領土の関係者が啓発活動の連携を強めるべきだ。