11年前を思い返してほしい。多くの人が東日本を襲った未曽有の大惨事に、居ても立ってもいられなくなり、自分は何ができるかと考えた。山陰両県は被災地までかなり距離がある。それでもボランティアとして現地へ向かった人たちがいた。本紙をはじめ報道や福祉機関などに浄財を託した人も大勢いた▼当時は東京で暮らし、別の新聞社で記者をしていた。現状を伝えるのが最善の貢献策だと確信し、被災地へ向かった。車で何度も足を運ぶうち空荷で行くのはもったいないと気付いた。同僚や友人に声を掛けると、おむつや生理用品、カップ麺といったさまざまな支援物資を託してくれた▼福島県内だったと記憶しているが、津波で家を流された人たちが避難する体育館で、小学生の子どもがいる30代女性を取材した。子どもたちはテレビとゲーム機を入手し、友達を呼んで遊んでいた▼女性を車に案内し、支援物資をもらってほしいと頼んだ。「これは本当にうれしい。他は要りません」と満面の笑みで受け取ったのは、書評担当者が提供した時代小説の束だった。誰も要らないと思っていたのに▼衣類や食料、生活用品などは届いても、本はなく書店もやっていない。「ここは時間がたつのがすごく長い」と嘆き、周囲に言えないが、本が一番欲しかったという。災害はまたどこかで起きる。被災者の声をよく聞いて善意を最大限に生かしたい。(釜)