ロシア軍が撤退したウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊ブチャなどで市民多数の犠牲が判明し、世界に衝撃を与えた。国際人道法は非戦闘員の殺害を禁じている。ロシアの「戦争犯罪」「虐殺」として非難する声が国際社会で高まったのは当然だ。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、道に放置された遺体の写真を公開し「戦争犯罪を裁かなければならない」と呼びかけた。ロシアは関与を否定している。だが、ロシア軍が包囲して攻撃を続ける激戦地マリウポリなど、各地で多くの市民が命を落としていることは明白であり、戦争犯罪の嫌疑は拭えない。
ウクライナは国際刑事裁判所(ICC、本部オランダ・ハーグ)にブチャなどの事件を調べるよう求めた。既にICCの検察官は3月初め、戦争犯罪や人道に対する罪について捜査を始めている。
戦争犯罪は決して見過ごしてはならない。国際機関が真相を究明することは、世界の平和にとって不可欠だ。長期にわたる困難な捜査になるに違いないが、関係各国が協力して粘り強く捜査を支えるべきだ。
ICCの設立条約は2002年に発効、120カ国以上が加盟する。日本は07年に加盟し、これまで日本人3人が裁判官に就任するなど積極的に支えている。ロシアの侵攻でも日本は英国やフランスとともにICCに付託する手続きを取った。
しかし、米国、ロシア、中国など有力な国が非加盟で、現状ではICCは成果を十分上げていない。ウクライナも非加盟だが、ICCの管轄権を受諾しているため捜査が可能になった。
これまで捜査対象はアフリカの途上国が多く、ロシアのような大国は初めてだ。非加盟のロシアのプーチン大統領や軍人の訴追は困難を伴う。仮に裁判が実現しても長い時間がかかる。
犠牲者をこれ以上出さないようにするため、最も必要なのは一刻も早い停戦実現であり、本来は国連安全保障理事会が拘束力のある決議を採択して和平に動くべきだ。しかし、安保理は常任理事国ロシアの拒否権行使で機能不全に陥っている。
そんな状況で、ICCの捜査にも多くを期待できないという悲観的な見方もあるだろう。停戦交渉が進められている今、訴追の見込みのない戦争犯罪の責任を言い立てるのは交渉にマイナスだという意見もあるかもしれない。
しかし、罪のない市民に対する残虐行為の有無や実態を解明し、責任を明らかにすることは、不当な侵略の犠牲者のためにも必要だ。それが長い目で見れば、戦争を繰り返さない世界を築く前提となる。その過程で侵攻の理由として「ロシア系住民の虐殺を止める」としたロシアの主張が事実かどうかも問われる。
米国はクリントン政権時代に当初ICC設立を推進したが、世界に展開する米軍将兵が戦犯にされる恐れがあるとしてブッシュ(子)政権以降、背を向けた。長らく「米国が協力しなければICCは成果を上げられない」という失望感が国際社会に広がっていた。
だが今回、ブリンケン米国務長官は情報・資料の収集や提供で協力する姿勢を打ち出した。これは注目すべきであり、国際社会の平和構築の努力に前向きの変化をもたらす可能性が出てきたことに期待したい。