高校の国語教育が揺れている。2、3年生が学ぶ現代文は論理的・実用的文章か、文学かの二者択一で高校が科目選択を迫られかねないからだ。

 新学習指導要領に基づき、来春から使う教科書の検定結果が公表された。注目が集まるのは「国語改革」で新設された選択科目。評論や実用的文章を学ぶ「論理国語」と、小説などを扱う「文学国語」だ。従来は1冊に幅広い教材が入っていた。

 科目は主に高校が選ぶ。受験を意識する高校の多くは「論理国語」を選ぶとみられ、「文学が軽視される」との批判が作家や研究者から上がった。人生で厳しい状況にぶつかった時、論理の枠を超えて糧になる力が文学にはある。それに触れる貴重な機会が減るなら残念だ。授業時間の制約はあるが、論理も文学も学べる工夫をしてほしい。

 改革の背景には国語教育が読解に偏り、実社会で役立つ論理的な思考力の育成が不十分との批判があった。「論理国語」の教科書は第一線で活躍する新書の著者らの評論が並び、知的好奇心をくすぐる。出版社が知恵を絞った結果だ。実社会への対応という指導要領の狙いの反映とも言える。

 だが、そもそも論理と文学を分ける必要があったのか。昨年、検定を終えた1年生向けの必修科目も現行の「国語総合」から、評論や実用文の「現代の国語」と、古典や小説の「言語文化」に再編された。しかし文部科学省の方針に反し、昨年、この「現代の国語」に芥川龍之介の「羅生門」などを載せた教科書が合格、採択率トップになった。素直に従った他社からは不満が噴出。教科書検定審議会が小説の扱いに関し「今後はより一層厳正に審査する」と見解を示す騒ぎになった。

 今回も同様に「論理国語」に小説を載せた2社が合格。文科省は「小説は主教材でなく、資料の位置付け」とするが、問題再燃の可能性もある。

 逆に「文学国語」には、文学に関連する評論が多数掲載されている。一連の動きは「文学も評論も教えたい」との教員のニーズを反映している。

 現場では授業編成の検討が進む。現行の選択科目「現代文B」は4単位で、1年間に週4時間教える想定だ。ところが、「論理国語」「文学国語」はどちらも4単位で、両方取るのは難しい。そこで、中には単位を減らして両方教える予定の高校もある。文科省や教育委員会は現場の声を聞き、柔軟に対応してほしい。

 「論理国語」のみの高校では文学を副教材で補う検討が広がる。入試には評論だけでなく文学も出るからだ。出版社も教材の準備に力を入れる。

 こうした動きを見ると二つに分けたことへの疑問が増す。指導要領は約10年に1度改定されるが、途中の見直しも可能だ。今後、検討が必要ではないか。

 出版社は地理歴史と公民でも政府方針との整合性に悩んだ。朝鮮半島の人々の「強制連行」や「従軍慰安婦」という表現に検定意見が多数付き「動員」などと修正された。昨年、閣議決定された「『強制連行された』とひとくくりにすることは適切ではない」「従軍慰安婦という用語は誤解を招く」との政府見解に基づかないという理由だ。

 新指導要領は多面的見方で考察を深める「探究」を求める。学問的見地を脇に置き、事実上、政府の主張を押し付けるのはこの理念にそぐわない。