読者の皆さんから、身近なテーマについてコメントを募り、山陰中央新報とSデジに掲載する「さんコメ!」。「生理にまつわるエトセトラ」に、たくさんの投稿をありがとうございました。紙面には全部載せていませんが、Sデジでは全ての投稿を読むことができます。記者の雑感もありますので、お楽しみください。(かっこ内はペンネーム。内容は一部要約・編集しています)
「生理の貧困」解消のために、学校のトイレに生理用品を置くようになりました。想像以上の消費に驚いています。本当に困っている人に、届いているのでしょうか?
生理は「月に1度必ず来る苦しいもの」に他なりません。ナプキンの出し入れなどに気を使うし、困ることはたくさん。ただ、これを男性に理解してくれとは思いません。うまく説明することができないからです。(あんこちゃん)
6歳の時に母が他界したので、初めて生理が来たときにナプキンを用意してくれたのは伯母でした。保健室の先生にも話しました。友だちのお母さんから、生理ノートをもらったこともあります。周りに、お母さんがいない女の子がいたら、助けてあげてください。(やっこ)
小学5年から生理が始まった。生理中、おなかも痛くなく、不快感もなく過ごした。結婚するのは嫌で、ずっと1人で暮らした。51歳の時、生理が終わった。パタッと終わり苦しみもなかった。その時、こんな立派な体に産んでもらったのに、結婚もせずにいたことを両親に謝りたかった。でも、面と向かうと何も言えなかった。(ドルチェ)
男の子2人(小3、年長)の母。生理中に子どもと一緒にお風呂に入るのは気を使います。子どもたちに生理のことを説明していなくて、いきなり血を見たらびっくりするかも!?と思って、床に落ちた血液をこっそりお湯で流しています。
生理痛がかなりひどく、学校や職場を休むことも。勤務先の女性の先輩から「生理は病気じゃないんだから、しっかり仕事して」と言われたことがあります。今ならパワハラ? 私は怠け者のように思われたのでしょう。女性が女性を理解できないのは悲しいですね。
出張中のバスの中で漏れました! よりによって薄いグレーのパンツ。たまたま着ていた赤いカーディガンを腰に巻いてやり過ごしました。
65歳です。最近は遠慮なく語れていいですね。腹痛があっても今のように休めず、鎮痛剤も十分ではなく頑張るしかなかった。ナプキンも薄くなり、吸水性も良くなって本当にうらやましいです。
東日本大震災の避難所で、支援物資の生理用ナプキンを見た年配の男性が「そんなもの配ってるんじゃない!」と怒鳴ったというエピソードを、生理になるたびに思い出します。それほどに理解されていないことにびっくりしました。わが家の子どもたちにはさりげなく話すようにしています。
若い頃、生理痛でずいぶん悩みました。市販のナプキンの素材が体に良くないことが分かり、すぐに家にあったネル素材で布ナプキンを作り、仕事にも持参しました。すぐに下腹の鈍痛はなくなり、うれしかったことは今でも鮮明に覚えています。
高校生から社会人時代は、生理が重くて鎮痛剤が手放せませんでした。生理前の心の不安定もあったので、婦人科の門をたたきました。先生からおすすめされたのは低用量ピルでした。生理痛は軽くなり心もずいぶん安定しました。ただ、副作用も多少なりともあり、慣れるまで体調不良になることもありました。(みかん大福)
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次回のテーマは「配偶者を、どう呼ぶ?」です。「夫」「だんな」「主人」「妻」「嫁」など人によってさまざま。呼び方次第で「主従関係を連想させる」と感じる人もいれば、気にしない人もいます。人との会話で、どう呼ぶか迷うときはありますよね。コメントはツイッターとLINEで募ります。ツイッターは「#さんコメ」をつけて、つぶやいてください! 7月中に特集を組みます。