安来節保存会の資格審査を取材した時、資格審査長で絃(げん)(三味線)の准名人、渡部孝夫さん(81)=松江市八雲台1丁目=が「安来節は歴史とロマンが詰まった民俗芸能」と言い表すのに、興味をそそられた。北前船によって各地の民謡が影響を与え合う中で芽生え、全国巡業の過程で他の民謡を間に挟む「あんこ入り」という独特の歌い方が生まれたという。唄と三味線は別々のメロディーで自由に演じられ、即興もあると聞いて「ジャズみたい」と心引かれた。(安来支局長・桝井映志)
江戸時代から明治期にかけて日本海沿岸の海運を担った北前船が安来節など各地の民謡を育んだ。研究者の間では安来節は九州のハイヤ節が基になったとされ、唄が似ているという。

◇独特の「あんこ入り」
渡部さんによると、ハイヤ節の影響を受けた新潟・出雲崎の民謡が境港に伝わり、船乗り相手の芸者が地元のモンバ節(藻刈り唄)と組み合わせ、さんこ節を創作した。松江の遊郭に持ち込まれて和多見節となり、これが評判が良くて境港に逆輸入され、安来にも入って安来節の原型になった。明治期の初代渡部お糸が歌った安来節は和多見節に近かったという。歓楽街ではやったためみだらな歌詞もあったが「安来節を誰でも歌えるものにしよう」という運動が起き、そうした歌詞は廃れたそうだ。

大正、昭和期にかけて安来節の知名度を高めた全国巡業の中で、安来節そのものも進化していった。
安来節は1曲3分程度。客から料金を取って見せるには、もう少しステージの時間を持たせたい。そこで、ご当地の民謡を取り入れ、安来節の間に挟んで歌う「あんこ入り」という独特のスタイルが生まれた。
◇浪曲も取り入れる
時間が長い浪曲も取り込んだ。その結果、明治末期に大塚順仙が浄瑠璃の三味線を基に築いた安来節の三味線の演じ方に、浪曲の要素が加わった。安来節の三味線が、唄と別のメロディーを作り、場面を浮かび上がらせる役割を果たすのは浄瑠璃がルーツ。「ウッ」「オッ」といった掛け声を入れる点や「すくいバチ」という奏法は浪曲から取り入れたという。

唄と三味線が即興も交え、それぞれ別のメロディーで演じられる点は安来節の難しさでもあり、魅力でもある。三味線は「唄を盛り上げる演出家みたいなもの」だという。唄は、伸ばす歌い方や節の付け方など演者が工夫を凝らし、自由に歌う。時には、歌詞を創作するという。実際、他の民謡を挟んだあんこ入りの場合、前後のつながりを作るため歌詞を変えており、演者の腕の見せ所だ。
渡部さんは「安来節は巡業のステージで発展した。巡業では客の評判が悪ければ次がない。真剣だった」と指摘した。さらなる発展のためには歴史を理解し、原点に返ることが鍵だとみて「唄なら、声の出し方、歌詞をどう表現するかを工夫し、三味線なら、どういう場面を作るかという演出家にならないといけない」と演者の創意工夫を説く。
民衆の心をつかむために、さまざまな創意工夫がされ今に伝わる安来節の奥の深さを感じた。