安倍晋三元首相が奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した事件で、逮捕された無職の山上徹也容疑者は演説が始まって間もなく歩道から車道に出て、安倍氏の背後に近づいた。警視庁のSP(警護官)や奈良県警の警察官が配置されていたが、交流サイト(SNS)の動画などを見ると、誰も声をかけたり、制止したりしていない。
山上容疑者はショルダーバッグから手製の銃を取り出して発砲。さらに距離を詰め、安倍氏が振り向きかけた時、再び発砲した。最初の発砲音で警護要員が動き出し、安倍氏を守ろうとして防弾仕様のケースを掲げたが、間に合わなかった。2発目の銃撃が致命傷を与えたとみられている。
制服警察官を目立つように配置する「見せる警備」もなく、今なお国政に影響力を持つ首相経験者の警護としては後方ががら空き状態になるなど、いくつも「穴」が指摘されている。警察庁は「検証・見直しチーム」を設置し、警視庁や奈良県警から当時の状況を詳細に聞き取り、8月に検証結果と要人警護の見直し案をまとめるとした。
選挙は民主主義の基盤であり、政治家が有権者と触れ合い、交流する重要な機会だ。事件は、その安全をいかに守るかという重い課題を社会に突き付けた。山上容疑者の動機や背景など全容解明を急ぐ一方で、失態の原因を徹底究明し、国民に説明する必要がある。
山上容疑者は、母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に入信し、多額の寄付をして家庭が崩壊したことに恨みを募らせ、旧統一教会と安倍氏がつながっていると思ったから狙ったなどと供述。「昨年春ごろから手製の銃を作り始めた」「当初は教祖を殺そうとした」とも話している。
先祖供養などを名目に高額の美術品や宝石を売りつける「霊感商法」が社会問題化したこともある旧統一教会は記者会見し、母親は信者で家庭が経済的に破綻したことも把握していると説明した。ただ今のところ、安倍氏と教会側のつながりははっきりしていない。
容疑者は自宅で手製銃の試作を繰り返して殺傷力を高めるなど、強い殺意と計画性がうかがわれるが、今回の警護で最大のミスは、警護要員の誰一人として、安倍氏に近づく容疑者に気付かなかったことだ。さらに1発目から2発目の発砲までに3秒ほどあったが、この間に安倍氏に覆いかぶさったり、伏せさせたりすることもなかった。
警察庁の検証・見直しでは、こうした現場の対処がポイントになるだろう。また首相経験者の警護計画は特段の事情がない限り、都道府県警から警察庁に報告しない。今回も奈良県警から報告はなかったが、事前に警察庁の担当部署がチェックすることも検討する。
要人警護の中でも、選挙時のそれは特に難しいといわれる。街頭演説の場所に不審者がいないか、不審物がないかなどをあらかじめ警察が確認するが、演説は次々に場所を移して行われるため、全ての地点で十分下見をしている余裕はない。
加えて、警察は警護対象者を見ず知らずの人から引き離したいが、できるだけ多くの人と接したい対象者はそれを嫌うとされる。だが今回のような取り返しのつかない事件を二度と起こしてはならず、守る側と守られる側が意見を交わす場を設けることも考えたい。