東西冷戦を終結に導き「世界を変えた男」と言われるミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が死去した。「立て直し」を意味する改革路線「ペレストロイカ」を掲げ、共産党の一党独裁を放棄して旧ソ連の民主化を進め、米国との核軍縮で画期的な成果を残した。
ペレストロイカの柱は、国内の自由化と軍縮による緊張緩和だった。ロシアで独裁体制を敷くプーチン大統領はウクライナ侵略に踏み切り、核の威嚇を繰り返している。中国、インドは侵略を事実上容認し、世界は分裂状態にある。ロシアと国際社会は今こそペレストロイカの原点に立ち返るべきだろう。
冷戦終結の象徴であるベルリンの壁崩壊から30年余りが経過した。東西ドイツが平和裏に再統一を達成できたのは、どの国にも「社会政治体制を選択する自由」を認めるゴルバチョフ氏の決断があったためだ。
ソ連は1960年代、社会主義陣営を維持するためには、個々の国は主権は制限されるという「ブレジネフ・ドクトリン」に基づき、東欧の改革を軍事力でつぶした。だがゴルバチョフ氏は外交の手段として、武力による威嚇を放棄した。
ロシアのウクライナ侵攻は、このような歴史の潮流に逆行している。国際社会が多大な犠牲を払った成果を踏みにじっているのだ。
87年に米国のレーガン大統領と中距離核戦力(INF)廃棄条約に調印した際、ゴルバチョフ氏は「戦争のない世界を求め続けた人類の歴史で画期的な出来事」と述べた。翌年のアフガニスタン駐留ソ連軍の撤退にも、戦争の否定と、他国の主権を尊重する基本姿勢が反映していた。
大国の再生をかけて、内政では言論の自由を拡大、人権を普遍的な価値と認め、複数政党制による議会制度の確立を目指した。だが急速な改革は混乱を招き、民族紛争の多発による政治危機がソ連を崩壊へと押し流し、ゴルバチョフ氏の政治生命を絶った。
ソ連を継承したロシアでは、同氏はソ連崩壊の「張本人」と批判されてきた。海外の高い評価と祖国における不人気の過酷なまでの落差に最期まで耐えた。
ロシアを長期支配するプーチン氏は、ソ連崩壊を「20世紀最大の惨劇」と呼び、ゴルバチョフ時代を否定的にとらえる。議会は建前だけは複数政党制だが、反体制派は立候補を阻止される。メディアを支配し批判を許さない。三権分立がなきに等しい実態が独裁者の暴走を許した。
ゴルバチョフ氏は、プーチン氏の手法を批判し続けた。ウクライナでは即時停戦を呼びかけた。ペレストロイカが掲げた目標とは異なる現実を黙視できなかった。影響力を失っても、政治家としての姿勢を貫いた。
世界の安全保障を巡っては、INF廃棄条約が2019年に失効。新たな核軍縮の枠組みづくりは難航している。米ロ、中国による軍拡は、宇宙やサイバー空間にも拡大した。
1986年のチェルノブイリ原発事故は、北半球を放射性物質で汚染した。ウクライナで原発を占拠し、世界を放射能汚染の危険にさらすプーチン氏には、過去の教訓に学ぶ姿勢が見られない。
閉塞(へいそく)状況を突き破る清新な理念と、歴史をつくる構想力が再び求められている。