安来市伯太町東母里の旧家・柴田家の古文書から江戸後期の1815年の「長寿番付」が見つかった。母里藩の18村(現在の安来市伯太町などの地域)で、数え年80歳以上の男女138人の名前が記され、最高齢は95歳の女性だと分かる。当時の暮らしぶりや敬老思想の浸透を探る上で貴重な資料になりそうだ。
番付は手書きで縦51センチ、横38センチ。中央に「勧進元」として「西母里村 儀右衛門姉 まつ 九十五」と最高齢者を記す。さらに「大関」「関脇」などとランク分けして年齢順に80歳以上の男女の名前が並ぶ。
柴田家文書の解読を進める松江工業高等専門学校人文科学科の鳥谷智文教授(54)=日本史=によると、国内では江戸~明治期に「長者」「温泉」などさまざまなテーマの番付が作られ、印刷されて娯楽のタネになった。
今回の長寿番付は、原本の可能性がある。制作者は不明。住民の個人情報を知り得る立場の人だと考えられるという。鳥谷教授は「よく長く生きたという書き方で、高齢者をいたわる心がないと作られない」と敬老思想の浸透を探る資料として関心を寄せる。
鳥谷教授が年代の近い26年ごろの母里藩の人口8263人を分母として計算すると、80歳以上の割合は1・7%。過去に人口構成を研究した幕末の68年の矢尾村(現在の島根県隠岐の島町)は人口1019人に対し80歳以上は0・9%の9人で、今回の母里藩の方が長寿者の割合が高い。
地域や時代が違い単純比較はできないが、仮に母里藩住民が長寿だとすると、食料や医療事情が今後の研究課題になるという。
柴田家12代当主の憲司さん(74)は「長寿をことほぐメッセージだと思う。具体的に書いてあり、珍しいもの。研究に活用されるといい」と期待する。