1956年は、100位までのチャートはまだ出来上がっておらず、50位までが公表されているのみ。しかし、特徴は明確だ。言わずと知れたキング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーのブレイクである。年間トップ50の中になんと5曲がチャートイン。それも全て上位だった。

 「ハートブレイク・ホテル」。年間第1位。8週連続1位。歴史的なシングルレコードといわれる。作曲者メイ・アクストンは「ナッシュビルの女王の母」と呼ばれた女性。彼女が想定していたのはもっとゆったりとした曲調だったそうだが、プレスリーは自らアレンジを施し、デビューシングルとしてチョイスした。ファーストヴァースはウッドベースをバックにディレイを掛けたロカビリー唱法。セカンド・ヴァース以降はそれにドラム、ギター、ピアノが加わってよりR&B風に。テンポが93BPMというのは、ロックンロールにしては意外に遅いが、一種のクールっぽさを表現しようとしたのではなかろうか。カントリー系のギター奏者チェット・アトキンスが加わっているというのを後に聞いてちょっと驚いた。独特な彼の奏法が全く聞こえなかったからだが、たぶんバッキングに徹したのだと思う。

 「冷たくしないで」。年間第2位。6週連続1位。シングルレコードの売り上げとしては「ハートブレイク・ホテル」よりも多かった。ファルセット・ボイスで名の知れていたフランキー・ヴァリ&フォー・ラヴァーズ(後のフォー・シーズンズ)のためにオーティス・ブラックウェルが作った曲で、彼はこの後もプレスリーのために曲を提供している。われわれがロックンロールと感じるのは、こういうサウンドだが、ポップな曲調は元々フランキー・ヴァリを想定していたからではなかろうか。

 「ハウンド・ドッグ」。年間第6位。5週連続1位。「冷たくしないで」とカップリングでともにA面の扱いだった。原曲は53年にビッグ・ママ・ソーントンが歌ったもの。作詞作曲は、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー。白人コンビだが、この時期は好んでR&Bスタイルの曲を作り続けた。この曲のベースラインはいかにもロックンロール。プレスリーを知ったわが国の子どもたちは、架空の手ぬぐいで背中を洗いながら(ツイストのまね)「ユエン ナシバラ ハァーンドォ」などと歌っていた。

 「I Want You, I Need You, I Love You」。年間第14位。ピーク1位。この曲を作ったモーリス・マイセルズとアイラ・コズロフは、多忙なプレスリーがスタジオ入りするのを待つ間にこの曲を書き上げ、やっと到着したプレスリーはかなりの回数のレコーディングにチャレンジしたが、満足のいくテイクはなかったそうな。完成されたレコードは、その不満足なテイクをいくつか部分的につなげて仕上げたもの、といわれている。バックコーラスを加えたロッカバラードで、情感たっぷりに歌うプレスリーの歌い方は、それ以前のシンガーの主流だったクルーナー唱法(穏和的)とは一線を画す。彼のスタイルは、ロカビリー唱法、つまり、ヒーカップ(しゃくり上げ)、マンブリン(ボソボソ感)、ファルセット(裏声)、ホンキートンク(鼻歌)、シャウト(叫び)などを取り入れたものだった。

 「ラヴ・ミー・テンダー」。年間第15位。同名のプレスリー初主演映画のタイトルソング。19世紀に作られた大衆歌謡「オーラ・リー」のメロディーラインはそのままに、自ら歌詞を差し替えて世に出した。ちなみにこの曲は彼自身の「冷たくしないで/ハウンド・ドッグ」をトップの座から引きずり下ろし、その後5週連続で1位をキープした。

 56年にランクインしたこれら5曲は、今やスタンダードとなったものばかりで、曲調もロックンロール一辺倒ではなくバラエティーに富んでいる。作曲やアレンジの名にプレスリーの名前が登場することは少ないが、レコーディングの現場でイニシアチブを取り、次々とアイデアを出していた、という事実が高い歌唱力や表現力のみならず、多方面において並々ならぬ才能の持ち主だったことを証明している。そんなプレスリーの劇的な登場が、56年の最もホットな話題だ。
 (オールディーズK)
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