繁華街のにぎわいをよそに昼も夜も静かな伊勢宮児童遊園地=松江市伊勢宮町
繁華街のにぎわいをよそに昼も夜も静かな伊勢宮児童遊園地=松江市伊勢宮町

 山陰両県有数の繁華街・伊勢宮町(松江市)の真ん中に、ひっそりと忘れられたような「遊園地」がある。辺りに民家は少なく、夜になっても伊勢宮らしからぬ静けさ。なぜここに遊園地があるのか。訪ね歩くと時の流れに身を任せ、人々の色に染められてきた姿が見えてきた。

 新大橋通りから路地に入ったさらに奥。人目につかない場所に「伊勢宮児童遊園地」がある。昼間でも子どもが遊んでいることはほとんどない。広さは375平方メートルほどで現在は鉄棒とすべり台、花壇がある。夜のとばりが下りても、ネオンライトが織りなす周りのにぎわいからは取り残された印象を受ける。

 地元町内会によると、1950年代には地区内に50人以上の子どもが住んでいたという。中心市街地の空洞化や少子化で、今や小学生はおらず、中学生が2人。地価の高騰もあって飲食店が建ち並ぶ一方で、住民は少なくなった。

 町は遊郭の歴史を刻み、遊園地の存在と無縁ではない。生まれも育ちも伊勢宮町の長田人志さん(75)は遊園地ができた理由を「遊郭の女性たちの子どもが遊ぶため、近隣有志が遊郭の組合とともに造ったと聞いている」と語る。

 遊郭は最盛期には30軒以上あったという。1958年に売春防止法が公布されたことにより遊郭は消滅したはずなので、公園の設置はそれ以前と考えられるが詳細は不明だ。

 ただ、遊郭が消えた後もしばらくは路地裏の少年たちでにぎわった。1960年代に何度も遊んだという売豆紀修さん(69)はジャングルジムやシーソーなどがあり「まさに遊園地だった」と振り返る。「紙芝居のおじさんがよく来て楽しい場所だった」と懐かしむ。

 子どもたちの歓声が響き渡ったのも遠い昔。状況は大きく変わり、今は痛々しいまでの荒れようだ。酔客が夜に吐しゃ物や尿をまき散らし、酔っぱらい同士のけんかの場所になることもあるという。

 地元有志は6月「伊勢宮きれい隊」を結成。松江市の補助を受けながら、遊園地の清掃活動に汗を流す。隊員の1人、長田さんは「私たちにとって思い出の場所。時代は変わっても、いつか子どもが戻ってくると信じたい」。汚れた吹きだまりのような場所からの再生へ力を込める。