学生三大駅伝の一つで、駅伝シーズンの幕開けを告げる出雲全日本大学選抜駅伝競走(出雲駅伝)が10日、出雲市を舞台に開催された。沿道には多くの観客が詰めかけ、全国ネットのテレビ中継もあり、大いに盛り上がった。レースの熱狂から2時間後、観客もまばらなグラウンドには表舞台に立てなかった選手たちの姿があった。悔しさを胸に秘めながら一斉に駆け出すランナーたち。「もう一つの出雲駅伝」を追った。(Sデジ編集部・宍道香穂)


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「もう一つの出雲駅伝」と呼ばれるのは、駅伝当日の夕方、島根県立浜山公園陸上競技場(出雲市大社町北荒木)で開かれる記録会。出雲市陸上競技協会(出雲市陸協)が毎年開き、出雲駅伝の出走メンバーに選出されなかった控えの選手が出場し、5000メートルのタイムレースに挑む。出雲駅伝には各校から10人がエントリーするが、当日メンバーとして走るのは6人のみ。出走者は大会前日の監督会議で決定する(当日変更もあり)。メンバーから外れて出雲路を走ることができない部員が、記録会に参加してタイムレースに挑む。

記録会は約30年前に始まった。駅伝出場校の監督が「せっかく出雲に来ている部員たちに思い出を作らせてもらえないか」と出雲市陸協に打診したことがきっかけだった。厳しい練習を重ねてエントリーメンバーに入っても、控えになった選手たちは練習の成果を発揮できないまま、出雲を後にしていた。「駅伝本戦に出られなかった思いを晴らせる場を作れないか」という提案だった。

出雲市陸協で当時、理事を務めていた加田由和さん(72)は「長らく陸上に携わった者としてぜひ、やりたいと思った」と振り返った。加田さんは出雲工業で駅伝の監督を務め、全国大会常連の強豪に育てた名将。教え子には大学駅伝で活躍したランナーもおり、打診の意味がよく分かった。記録会でマークしたタイムは「公認記録」となり、良い記録を出せば、11月の全日本大学駅伝(伊勢駅伝)や翌年1月の箱根駅伝でリベンジを期す選手たちにとって格好のアピールになる。「せっかく出雲まで来た選手たちなのだから(走るだけでなく)記録を残して帰ってもらいたい」と他の理事とも相談し、開催を決めた。「地元の中高生にレベルの高い走りを見せることで、いい刺激になる」そんな思いもあった。
▽吹き荒れる風 日が傾いた競技場で
今年の記録会にエントリーしたのは63人。日が傾き、秋風が肌寒くなってきた午後5時ごろ、2組に分かれてレースがスタートした。1組目は大学生に交じり、地元の大学生や高校生も参加し、2組目には記録上位の選手たちが参加した。優勝校・駒沢大をはじめ、国学院大や中央大といった上位入賞チームの選手の姿もあった。

1組目のレースが終わり、記録上位の選手による2組目のレースが始まる。準備運動でスタート地点を軽く走る選手たち。競技場には風が吹き荒れ、厳しいコンディションの中での戦いとなりそうだ。選手たちは「フー」と息を吐いたり、軽く手足を動かしたりしながら緊張した面持ちでスタート位置に着いた。


開始の合図でタイムアタックが始まった。前を見つめ淡々と走る選手、苦しそうにしながらも前を走る背中に必死に食らいつく選手、途中で体が思うように動かなくなり、悔しそうにコース外に出て棄権する選手もいた。タッ、タッ、という足音と、コースの外からアドバイスや声援を送る関係者の声が響く。げきを飛ばす駒沢大の大八木弘明監督の姿もあった。中盤までは団子状になっていた選手の集団が、残り2000メートルほどになると徐々にばらけてくる。ラストスパートをかけてゴールすると、苦しそうに転がり込んだり、膝に手を当てて肩を大きく上下させたり、自分の持てる力を出し切った選手の姿があった。

創価大2年のリーキー・カミナ選手が14分ジャストでゴール。自己最高記録(10月11日時点)の13分48秒には及ばなかったものの、風が強い厳しい条件の中で好タイムを出した。本番の出雲駅伝と同じく、活躍が目立ったのは紫のユニフォームの駒沢大勢。2位は4秒差で4年の円(つぶら)健介選手、1年の山川拓馬選手が3位だった。8位に入ったのは地元・出雲工業高出身で1年の伊藤蒼唯(あおい)選手(18)。14分30秒でゴールした。伊藤選手は大学駅伝で走ることを目標に掲げ、入学後初の出雲駅伝で1年生ながらエントリーメンバー入りしたが、惜しくも当日は控えに回った。

伊藤選手は「駅伝メンバーの6人に入るのが一番だが、今回は選ばれなかった」と、悔しさをにじませた。思いを晴らす記録会に臨んだものの「思った以上に体が動かず悔しかった。これから駅伝や大会で、チームのための走りがしっかりできるようになりたい」と表情を引き締めた。全国から名だたるランナーが集まった50人以上の部員の中から1年生で登録メンバーに抜擢されたホープ。向上心あふれる姿は頼もしく映った。来年の出雲駅伝ではぜひ地元で力強く走る姿を見たい。

2位に入った円選手は駒沢大の副主将。最終学年で迎えた今回の駅伝はサポートに回ったが、トップのカミナ選手に食らいついた。見据えるのは最後の箱根。「8、9月は走り込んだ。箱根では1区を狙いたい」と清々しい表情で前を見据えた。3位の山川選手は「前半に故障が多いシーズンだった。8月にやっと走れるようになり今回、補欠になったが(今回の記録会で)足りない部分が見えた。全日本ではメンバー入り、区間賞を目指す」と力強く話した。

チームの戦力になろうと必死にもがくルーキー、最後の箱根にかける4年生…。チームメートが優勝の歓喜に浸る中、それぞれの目標に向けてひたむきに努力するランナーたちの姿があった。出場できなかった悔しさからか、スタート前はこわばって見えた選手たちの表情がレース後、心なしか少し晴れやかに見える。駅伝に青春をささげる学生が悔しさをばねに飛躍していくための場所が「もう一つの出雲駅伝」なのだと感じた。
▽最初は「ゆるい記録会」が…
今でこそ「もう一つの出雲駅伝」と呼ばれ、メディアも取材に来るなど、陸上関係者の間では有名になったが、本格的な記録会になったのは、地元関係者の尽力があった。開始当時を知る関係者によると「もともとは『ゆるい記録会』という雰囲気だった」という。しかしある時、夕方開催のため、辺りが暗くなり、記録が取れないハプニングがあった。
大舞台を逃した悔しさを晴らしたい選手たちにとっては記録がかかった真剣勝負。同じことが起きないよう、当日はリース業者から可動式の照明を借り、ゴール付近に設置するカメラで正確に計測できるようにした。出雲市陸協の青木敏章(としあき)会長は「タイムが公認記録となる以上、良いコンディションで開催したい」と力を込めて話した。



近年、メディアに引っ張りだこの原晋監督率いる青山学院大学の活躍などで、駅伝人気が高まっている。SNSの普及により個人の選手を熱烈に応援する「追っかけ」が増え「もう一つの出雲駅伝」を観戦しにくるファンもいる。注目が高くなるにつれ、大会運営に携わる人たちも、運営に一層のやりがいと責任感を感じて当たっている。
駅伝関係者の思いと地元の熱意で始まった記録会。ここから「未来のスター」が生まれたり、学生ランナーと出雲との特別な縁ができたりすれば、すばらしいと感じた。