びっくりやを創業した和田哲男さん(左)と亮子さん(右から2人目)=1950年代後半に撮影
びっくりやを創業した和田哲男さん(左)と亮子さん(右から2人目)=1950年代後半に撮影
創業当時の場所で再開を決めた和田賢二さんと哲也さん(左)=益田市赤城町、鶏ダイニングびっくりや
創業当時の場所で再開を決めた和田賢二さんと哲也さん(左)=益田市赤城町、鶏ダイニングびっくりや
名物の焼き鳥を提供する店員=益田市赤城町、鶏ダイニングびっくりや
名物の焼き鳥を提供する店員=益田市赤城町、鶏ダイニングびっくりや
びっくりやを創業した和田哲男さん(左)と亮子さん(右から2人目)=1950年代後半に撮影
創業当時の場所で再開を決めた和田賢二さんと哲也さん(左)=益田市赤城町、鶏ダイニングびっくりや
名物の焼き鳥を提供する店員=益田市赤城町、鶏ダイニングびっくりや

 JR益田駅(益田市駅前町)近くで鶏料理を提供していた飲食店「びっくりや」が1日、およそ20年ぶりに復活オープンした。後継者不在で閉店したが、料理人の和田賢二さん(73)が先代の両親から志を引き継いだ。名物「焼き鳥」を柱に、家族総出で再出発に挑む。

 和田さんは現在、県芸術文化センター・グラントワ(益田市有明町)で洋食レストランを営む。

 先代は戦後に中国東北部から引き揚げた父・哲男さん(1991年に死去)、母・亮子さん(2015年に死去)。夫妻は益田市内で食堂や鮮魚店を始め1953年にびっくりやを開店した。しょうゆベースの自家製たれで味付けした骨付き鶏「焼き鳥」が名物で、クリスマスに約千本が売れるなど親しまれた。

 賢二さんは両親と異なり洋食の道に進み、半世紀前から益田市内でレストランを経営。哲男さんの死後、亮子さんが切り盛りしていた店も手伝った。その亮子さんも高齢となり、店を閉めざるを得なくなった。

 それでも賢二さんは不定期だったが、イベントがあれば焼き鳥を提供。秘伝の味を守り、「将来的には再開したい」と願っていた。

 思いを知った長男の哲也さん(44)が2年前から空き店舗となっていた、以前の店での復活を提案。事務経験を生かし内装や機材など店の体裁を整え、次男で料理人の直己さん(42)も東京都内からUターンし存分に腕を振るう。

 改装した店内には書が得意だった亮子さんの作品を展示。賢二さんは「両親もびっくりしていると思う。若い人もかつての常連も、変わらぬ味を楽しんでほしい」と笑顔で話した。午後5時半~同10時に営業し、定休日は日曜、祝日。7日からはランチ営業もする。

(森みずき)