初土俵から18年で現役生活を終える隠岐の海に、地元の島根県隠岐の島町や県内の知人、恩師から感謝とねぎらいの言葉が続いた。 (鎌田剛、松本直也)
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引退会見をテレビで見た父親の福岡多喜夫さん(72)=同町港町=は「よく頑張った。それだけです。大きいけがをしなかった。120点満点でしょう」と感無量。長い力士生活を終えた息子に、温かいまなざしを送った。
「昨日(13日)朝に本人から電話があった。『お世話になりました。早いうちにあいさつをします』と言われた。ありがとう、という言葉しかない」と長年の功績をたたえるのは隠岐の島町の池田高世偉町長。自身の息子と年代が近く、幼い頃から顔なじみ。「よくしゃべる子で、小さい頃から格好良かった」と振り返る。「大相撲では600~700人も力士がいて常に上位にいた。(場所のある)年90日はメディアで『隠岐』が出ていた。町民に夢と希望を与えてくれた」と深く感謝した。
母校の隠岐水産高校での恩師でもある酒井実三校長(59)は「大相撲で活躍し、隠岐に根付いた相撲の伝統文化に大きな影響を与えた。離島からスポーツで活躍できる人材が巣立ったのは地域の宝だ」とたたえた。小学校から高校まで先輩として胸を突き合わせてきた漁師、米津輝樹さん(38)=同町西町=の元にも本人から「今までお世話になりました」と電話があった。帰省のたびに自宅で杯を交わす仲で「面白くてよくしゃべる。親方になっても頑張ってほしい」と期待する。
小学生の頃に稽古をつけ、入門後も支援を続けた隠岐郷土力士後援会の奥谷寿久事務局長(81)=同町港町=は、隠岐の海から引退を告げる電話を受け「お前は正攻法できれいな相撲を取った。相撲を変えなかった。名が残る」と褒めた。「素直な性格なので筋を通したのでしょう」。王道を貫いた相撲人生を高く評価した。
秋巡業・出雲場所では、地元ファンに勇姿を見せてきた。出雲場所実行委員会の佐々木雄三会長(78)は、10月に4年ぶりに開催することを踏まえ「できれば力士として出てもらいたかった」と残念がるが、「長年よく頑張られた。今後も相撲界のために、若手の力士を育ててほしい」と願った。
島根県の丸山達也知事は「隠岐の皆さんはもとより、県民にたくさんの感動と元気を与えていただいた。本当にお疲れさま」とねぎらった。