9日、トルコ南部カフラマンマラシュ県で、大地震後に倒壊した建物(ロイター=共同)
9日、トルコ南部カフラマンマラシュ県で、大地震後に倒壊した建物(ロイター=共同)

 トルコ南部を震源とするマグニチュード(M)7・8の大地震の死者は内戦下の隣国シリアを合わせ3万人を大きく上回った。なお多数の人々が倒壊した建物の下敷きになっているとみられる。

 日本など世界各国の救援隊がトルコに到着し、救助に協力しているが、被害の全容は依然不明だ。雪が降り、気温が氷点下になる所も多く、低体温症で犠牲者が増えることも憂慮される。国際社会はロシアのウクライナ侵攻で分断を深めているが、対立を乗り越え、支援に力を尽くさなければならない。

 トルコは世界有数の地震国だ。国土の大半を含むアナトリアプレートが他のプレートに囲まれており、境界の活断層などで地震が起きる。1999年にトルコ北西部で起きた地震では1万7千人以上が死亡した。

 日本政府が派遣した国際緊急援助隊の救助チームと医療チームがトルコで活動中で、資機材輸送を自衛隊機が担う。余震による建物倒壊などに注意を払って一人でも多くの命を救うことを期待したい。政府は国際社会の支援が難航するシリアにも国際協力機構(JICA)を通じ緊急援助物資を供与することにした。

 日本とトルコには、19世紀に和歌山県沖で起きた「エルトゥールル号」遭難事件以来の友好関係がある。台風で沈没したオスマン帝国(現トルコ)軍艦の乗組員の生存者を住民が救助した。2011年の東日本大震災では、トルコの救助チームが諸外国中で最長の約3週間活動した。今回の地震で、日本の地方や民間レベルで「恩返し」の支援の動きが出ていることは心強い。

 M7・8のエネルギーは1995年の阪神大震災(M7・3)の10倍ほどだ。未明の就寝中に地震が起き、逃げる余裕がなかった人が多いとみられる。約9時間後にM7・5の地震も起きた。

 トルコ政府によると、5700棟以上の建物が倒壊。建物が一瞬でパンケーキを重ねるようにつぶれる「パンケーキ崩壊」が多発し、がれきの下敷きになった人が多く、救助を難しくしている。99年のトルコ北西部地震後に、耐震性の建築基準が厳しくなったが、それ以前の古い基準で造られた建物が多数倒壊したようだ。

 シリアでは2011年からアサド政権と反体制派の内戦が続く。イランと、15年に軍事介入したロシアの支援を受けるアサド政権は主要都市の支配を回復したが、北西部に反体制派の最後の拠点がある。その地域が大きな被害を受けたようだ。

 地震以前から国連安全保障理事会の決議により、国連機関がトルコから越境してシリア北西部に人道支援物資を届けており、この支援に住民400万人以上の生活が支えられている。地震で物資輸送がいったん停止したが、3日ほどで再開し、毛布などが運ばれた。

 国連のグテレス事務総長は、現在1カ所しかないトルコとシリアの越境地点を増やし、被災者への支援を拡大することを目指して安保理に協議を要請すると表明した。国連は両国の詳しい被害状況を調査中で、近く必要な資金額をまとめ支援国に拠出要請するという。

 今年の先進7カ国(G7)議長国で、年初から安保理の非常任理事国になった日本は先頭に立って国際社会の被災地支援の努力を主導しなければならない。