1991年末に消滅したソ連が突如残した約5千発の核兵器。自国内での核解体・廃棄の道を探った当時のウクライナ国会議員ユーリー・コステンコ(71)は、少なくとも10年はかかるとされた廃棄期間中に西側から確実な「安全の保証」を取り付け、弾頭から抽出した核物質を原発燃料に活用する未来図を描いた。

 そんなコステンコが92年に環境保全相に就任すると、核を巡るロシアとの交渉の矢面に立つ。ただ新生国家の将来を考えると、何と言っても重要なのが「冷戦の勝者」米国の動向だった。

 コステンコの閣僚就任前の9...