ロシアのプーチン大統領は「対ドイツ戦勝記念日」の演説で「祖国に対する本物の戦争が再び行われている」と述べ、国民に結束を求めた。既に膨大な犠牲を生んだ侵略戦争をさらに続行する意思を示した。
戦闘の継続は、ウクライナの兵士や一般市民だけでなく、心ならずも動員されたロシア兵の命も際限なく奪う。プーチン氏が言うような崇高な正義がこの侵略戦争にあるとは思えない。
なぜ戦うのか。なぜ女性や子どもまで殺すのか。繰り返し愚直に問いたださねばならない。
冷徹なパワーポリティクスの見地に立てば、国際関係や紛争の在り方は、力の優劣や均衡、利害が左右する。中国やインド、グローバルサウスの国々が中立を維持するのは、対立の枠外に立つことが国益になると計算するからだろう。
一方で米国を筆頭に先進7カ国(G7)が、ウクライナへの軍事支援を続けるのは「力による現状変更は認めない」という理念を重視するためだ。G7はロシアに対する制裁で自らも被る経済的損失より、2度の大戦を経て世界が獲得した価値観の共有を優先して結束を保っている。プーチン氏にとっては大きな誤算であったに違いない。
岸田文雄首相はG7広島サミットを前にアフリカ4カ国を歴訪し、各国首脳と会談した。ウクライナ戦争を巡り亀裂が露呈した国々の「利害」と「理念」の橋渡しを試みたのは、成否にかかわらず評価すべきだ。
第2次大戦は強国による植民地支配に終息を促した。だが、戦後の米ソ冷戦も、イデオロギーの名の下に世界を東西の勢力圏に分割する「力の時代」だった。
ソ連が崩壊し冷戦が終結した今、再び弱肉強食の原理に世界を委ねてはならない。ウクライナを巡り国際社会に求められている「正義」とは、そのようなものだ。
ロシアの戦勝記念日はナチス・ドイツがモスクワ近郊まで迫った侵略に耐え抜いた「大祖国戦争」の記念日である。この日がロシアで神聖視されるのは、祖国の領土を国民が守り抜いた戦いの価値に疑問を差し挟む余地がないからだ。
しかし、現在の戦争は隣国ウクライナが戦場である。動員を逃れるために多くのロシア男性が国外に脱出したのは、戦いに命をかける理由を見いだせないためだろう。
長期戦を強いられたプーチン氏は、戦う理由を新たに説明する必要に迫られた。昨年2月の開戦時は、ウクライナを支配するネオナチ勢力から、ウクライナにいるロシア人同胞とその兄弟であるウクライナ人を救う「解放戦争」との位置付けが前面に出ていた。
ところが、ことしの戦勝記念日の演説では、米国を筆頭とする敵対勢力の目的は「わが国の崩壊と壊滅」と断言した。国家存立の危機を演出して動員を加速し、数の優位で圧倒する構えだ。
ソ連は独ソ戦で、ドイツの数倍に及ぶ約2700万人の犠牲者を出した。指導者スターリンが兵士の犠牲をいとわなかったことが一因だ。訓練不足の兵士を前線に投入し続けるプーチン氏にも同じ考え方があるようだ。ただ独ソ戦では祖国防衛の正義がソ連にあった。ウクライナ侵略には、それがない。
ロシア国民は日本人の隣人だ。「殺すな」と言う理由が私たちにもある。