ティナ・ターナーのアルバム「シンプリー・ザ・ベスト」
ティナ・ターナーのアルバム「シンプリー・ザ・ベスト」

 ティナ・ターナーが亡くなった。享年83。1984年に「愛の魔力」(原題What’s Love Got To Do With It)が全米ナンバーワン(ビルボードヒットチャート)になるなど80年代をピークに、長く活躍したアーティストだった。高校時代にヒットチャートを熱心に追いかけていた当方も、人気絶頂の彼女の音楽に親しんだ。リマール(元カジャグーグー)よりも強烈なライオン丸のような髪形と、網タイツ姿も強く印象に残っている。

 エルトン・ジョン全盛期のアルバム「ピアニストを撃つな」の収録曲「ミッドナイト・クリーパー」の歌詞(バーニー・トーピン作詞)にTina Turner gave me the highway blues(ティナ・ターナーはハイウェイ・ブルースをくれた)というくだりがある。このアルバムは73年の作品。当時既に、人気歌手の歌の歌詞に登場するほどのアーティストだったわけだ。

グラミー賞を手にするティナ・ターナーさん=1985年2月、ロサンゼルス(AP=共同)

 活動の始まりは、夫婦デュオのアイク&ティナ・ターナーとしてであり、60年に初ヒットを放っている。71年に、クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル(CCR)のカバー「プラウド・メアリー」がコンビ最高の全米4位を記録した。しかし、夫からの暴力に苦しんだ末に70年代半ば、ティナ・ターナーはソロになり、夫婦関係も終わった。

 ソロ転向後、40代半ばになって見事にカムバックを果たしたのが、「愛の魔力」だった。ハスキーな歌声による大人の雰囲気たっぷりのこの曲はもちろん魅力的だったが、高校生だった当時はロック・ポップ寄りの次のシングル「あなたのとりこ」(Better Be Good To Me)に、より引きつけられた。今聞けばシンセサイザーの入ったいかにも80年代ロックといったこの曲では、ソウルシンガーからロックシンガーに変身したかのようにシャウトし、全米5位のヒット。なぜかザ・フィクスのサイ・カーニンがコーラスで参加しているのも興味深いところだ。さらなるシングル「プライベート・ダンサー」(Private Dancer)はマーク・ノップラー(ダイア・ストレイツ)作のバラードだった。確かにダイア・ストレイツのアルバムに入っていそうな深みのある曲で、ジェフ・ベックがギターで参加。これも7位に入った。

 この3曲など計5曲をヒットチャートに送り込んだアルバム「プライベート・ダンサー」はアルバムチャートで3位まで上がるヒットとなった。当時、限られた小遣いの中でこのLPレコードを買うのは諦め、高校の友達から借りたレコードをカセットテープに録音し、よく聴いた。収録曲のうち、デビッド・ボウイのカバー「1984」はシングルカットはされなかったものの、ヒューマン・リーグを思わせる英国シンセポップ風の演奏に、シャウトするロックボーカルが乗って異彩を放っていた。聴き応えのあるアルバムだったと改めて思う。

 「愛の魔力」は84年の米年間チャートで、1位のプリンス「ビートに抱かれて」に次ぐ2位。ちなみに3位はポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「セイ・セイ・セイ」、4位はケニー・ロギンス「フットルース」だった。アルバム「プライベート・ダンサー」はロング・ヒットとなり85年の年間チャート5位。「愛の魔力」は84年のグラミー賞で最優秀レコード賞、最優秀ソング、最優秀ポップ女性ボーカルの3賞を受賞し、「あなたのとりこ」は最優秀女性ロックボーカル賞を受けた。輝かしい1年だった。

 勢いに乗って85年には女優として映画「マッドマックス/サンダードーム」に出演した。マッドマックスシリーズは、衝撃の第1作から、次作、3作目と物語の飛躍が過ぎてどうにもなじめなかったが、自ら出演した3作目で彼女が歌った挿入歌「孤独のヒーロー」(We Don’t Need Another Hero)は、子どもたちの合唱が加わって盛り上がるさびが聞きどころの名バラードだった(全米2位)。

 85年にはアフリカ支援のために米国の主要アーティストが結集したUSAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加した。ソロパートを担う20人余りのアーティストの1人として、曲が始まって1分過ぎ、ジェームス・イングラムの後を受けて歌声を響かせ、ビリー・ジョエルへとつないだ。USAフォー・アフリカのチャリティーアルバムにはメインの曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」以外に、8アーティストの個人名義の曲が収録されている。そこに彼女の曲「トータル・コントロール」(Total Control)が入っていることからも、当時の存在の大きさがうかがえる。

 先に触れたエルトン・ジョンとの関連で言えば、エルトンと相棒の作詞家バーニー・トーピンへのトリビュートアルバム「トゥー・ルームス」(91年)に参加。74年のエルトンのヒット曲「あばずれさんのお帰り」(The Bitch Is Back)を歌っている。ティナ本人のコメントによると、「あばずれさんのお帰り」は70年代の自身のソロアルバムでカバーし、ショーのオープニングで歌って好評を得たといい、曲のちょっとショッキングな内容は自分にぴったりなのだとか。その言葉通り、持ち歌のように板に付いた歌いっぷりのティナ版「あばずれさんのお帰り」だった。

 これらは彼女の歩みの一部に過ぎない。「ロックンロールの女王」と呼ばれるが、ロックに限らず、ソウル、ポップ、さらには映画まで、ジャンルを超えて活躍してきた彼女は世界中で多くの人々に愛されたアーティストだった。合掌。(洋)
 

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