ロシア南部とモスクワをつなぐ道路で車両の近くを歩くワグネルの戦闘員=24日、ロシア・ボロネジ近郊(ロイター=共同)
ロシア南部とモスクワをつなぐ道路で車両の近くを歩くワグネルの戦闘員=24日、ロシア・ボロネジ近郊(ロイター=共同)

 ロシアの民間軍事会社ワグネルが正規軍に公然と反旗を翻し、武力衝突の末に首都モスクワへ向けて進撃した。ワグネルの創設者プリゴジン氏は説得に応じて部隊撤収を表明したが、一時は核兵器保有国で内乱に発展する事態さえ懸念された。

 プリゴジン氏はウクライナ侵攻後、ショイグ国防相らロシア軍指導部への批判を公然と繰り返してきた。弾薬や物資、雇い兵の地位を巡り、対立は衝突の危険をはらんで推移していた。

 国家元首として双方の上に立つプーチン大統領は、プリゴジン氏の言動を制御できなかった。プーチン氏に「裏切り」を非難されたプリゴジン氏は「大統領は大きな間違いを犯した」と一時は投降を拒否した。

 プリゴジン氏はプーチン氏のサンクトペテルブルク時代から関係が深い人物。プーチン氏にすれば、飼い犬に手をかまれた格好である。

 ワグネル部隊の撤収もベラルーシのルカシェンコ大統領が仲介した後だった。プーチン氏の統制力が低下し、威信に陰りが生じているのではないか。

 プーチン体制がすぐに崩壊へ向けて動揺する可能性は、現状では低い。とはいえ、ウクライナ侵略や旧ソ連圏の安定に及ぼす中長期的な影響を慎重に見極め、必要な対応を考えねばならないだろう。

 欧米主要国の首脳が緊急に電話で会談したのも、このような観点から事態を重大視したためだ。プーチン氏もトルコや旧ソ連諸国の首脳に状況を説明した。体制動揺の疑念を払拭する切迫した意図があった。

 プーチン氏は昨年2月のウクライナ侵攻で全土の掌握に失敗し、長期戦に引きずりこまれた。前例のない制裁を受けて、国際的な孤立を深めたのは手痛い誤算だった。ウクライナ軍の大規模な反転攻勢により守勢に回った戦局に、身内の反逆が追い打ちをかけた。

 プーチン氏は緊急にテレビで演説した。1917年のロシア革命を受け、帝政の残存勢力と革命軍による内戦が続き「ロシア人がロシア人を殺した」歴史に言及し、諸外国の干渉を受けた過去を国民に想起させた。

 ウクライナとの戦いで結束を求められている時に「いかなる国内騒乱も国家と国民にとって致命的な脅威である」と述べ、危機感をあらわにした。プリゴジン氏が「ロシア人の血が流れることに対する責任」に言及したのは、プーチン氏の演説に呼応したものだ。

 プーチン氏は事後処理に一応は成功した。だが事前に危機の芽を摘み取れなかったことは深刻である。演説では「裏切り」を連呼し「報復」を誓った。だがプリゴジン氏の妥協を受け、武装反乱を呼びかけた疑いによる捜査を取り下げた。

 刑事責任の免除を交換条件に翻意を迫ったとみられる。断固として排除するより、取引による妥協に頼らざるを得なかったとすれば、そこにも体制の弱さを見いだすことができるだろう。

 プーチン氏にとってワグネルは便利な存在だった。外国での戦闘は「民間会社の仕事であり、政府は関与していない」と言い張れたからだ。

 しかし、正体は政権の意を受けて「汚れ仕事」を遂行する実行部隊だった。ウクライナ侵攻で存在感を増したために制御できなくなった。合理性のないウクライナ侵略が体制の矛盾も暴く皮肉な結果となった。