1993年秋、ウクライナに残る核弾頭のロシア移送で一致したクリミア・マサンドラでの2国間合意の崩壊後、米国は自国も交えた3者合意へ向け積極的な調停外交に打って出る。しかも精力的に動いたのはクリントン政権の首脳陣だった。

 「93年12月、ゴア米副大統領がチェルノムイルジン・ロシア首相との会合のためモスクワを訪れた時のことだ」。30年前の水面下の交渉を振り返るのは、米国務省の担当官だったステ...