地元の有権者にとって、何とも理解し難い言動である。
体調不良を理由に任期途中で衆院議長を辞任する意向の細田博之衆院議員(79)=島根1区、11期=が、次期衆院選への立候補に意欲を見せているという。
20日に召集される臨時国会を控え、周囲に「体調に自信がない」と議長を辞任する意向を示した。にもかかわらず、次期衆院選に向けて「(健康に)大きな支障はない。政治家としては元気そのもの。全然変わっていない。立候補する前提で考えている」と本紙の取材に答えた。
「三権の長」の職務には耐えられないが、一議員としての活動なら問題ないということか。どうにも理解に苦しむ。自民党島根県連や選挙対策本部へ事前に説明がなかったこともあり、お膝元の関係者からも、議長辞任と出馬は「理屈が合わない」と不満がくすぶっている。
興味深いデータがある。1947(昭和22)年の日本国憲法施行後に衆院議長を務めたのは、細田氏で延べ40人目になる。過去に任期途中で辞任したのは12人。国会運営を巡る問題の責任を取った例が多く、病気や体調不良で辞めたのは3人だった。
このうち辞任後に衆院選へ出馬したのは1人だけ、現在の滋賀県甲賀市出身で、旧制松江高校(現島根大)でも学んだ福永健司氏(1910~88年)である。
体力の衰えにより、84年12月召集の通常国会で議事内容を読み違えた上、翌月の国会開会式のリハーサルで天皇から詔書を受け取った後、玉座から後ろ向きに階段を下りる「右進退左」の所作がうまくできず、天皇に尻を向けてしまう懸念から議長を辞任したとされる。
それでも中選挙区制時代の86年衆院選の旧埼玉5区(定数3)に立候補し、トップ当選で15選を果たしている。
次期衆院選に出馬すれば、それ以来の珍事となる細田氏ではあるが、その前にやらなければならないことがある。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係や、女性記者に対するセクハラ疑惑について、自らの口で説明することだ。
細田氏は2021年11月の議長就任までの約7年間、党内で特に教団との関係が深いとされる清和政策研究会(現安倍派)で会長を務めた。昨年秋には教団との関係について2度説明に応じたが、文書のみや非公開での回答にとどまり、「神対応」ならぬ〝紙対応〟と揶揄(やゆ)された。
今年1月の通常国会召集翌日には、議院運営委員会の与野党代表者に対し、接点について説明したとはいえ、「密室」でのやりとりに終わっていた。
週刊誌報道が発端となったセクハラ疑惑も、事実無根で名誉毀損(きそん)に当たるとして、発行元に損害賠償などを求めて提訴する一方、自らは口を閉ざし、沈黙を貫いたままだ。
これまでは「過去のことについて、議長の立場で会見し答えるのはふさわしくない」と説明を拒んできたが、辞任すれば、その制約はなくなる。
4日に細田氏と東京で面会した県連幹部によると、細田氏は13日に都内で記者会見を開き、教団との関係やセクハラ疑惑を含めて自ら説明するという。
2年前の衆院選では9万638人が細田氏に一票を投じた。出馬表明より先に、有権者が納得できる説明をしてほしい。