米軍普天間飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部。手前は大浦湾=5月
米軍普天間飛行場の移設先として工事が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部。手前は大浦湾=5月

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、政府は辺野古沖の軟弱地盤改良工事の設計変更を玉城デニー知事に代わって承認する「代執行」のための訴訟を福岡高裁那覇支部に起こした。

 設計変更の承認権限は知事にあるが、不承認とした県側は先の最高裁判決で敗訴。その後も承認しなかったため、政府は知事の権限を事実上取り上げる手続きに入った。

 国と地方の関係を「対等」とした2000年の地方分権一括法施行後、政府が代執行訴訟を起こすのは翁長雄志前知事時代に続き2例目だが、前回は和解が成立。代執行に至れば初めてとなる。この間、岸田文雄首相が事態打開に向けて玉城知事と真正面から話し合った形跡はない。「辺野古移設が唯一の解決策」と繰り返すだけで、あまりにも強権的なやり方だ。

 辺野古移設は本当に唯一の解決策なのか。原点に立ち返って考えたい。日米両政府が1996年4月に普天間飛行場の返還で合意したのは、宜野湾市の市街地にある飛行場の危険性を取り除くためだった。当時の合意は「5~7年以内」の返還実現だ。だが、移設先選定で迷走、辺野古に決定後も工事は遅れ、既に27年半が経過する。

 その間、2004年には普天間所属のヘリが沖縄国際大学に墜落し、17年には小学生が授業中の校庭に大型ヘリの窓が落下するなどの事故が発生。今でもオスプレイが飛び回っている。危険性の除去が目的ならば、普天間飛行場の運用停止を何よりも急ぐべきだろう。

 軟弱地盤に約7万本のくいを打ち込む工事は難航が予想される。防衛省は事業完了に必要な期間を約12年としており、普天間飛行場の返還は30年代半ば以降となる。その間、危険性を放置するのか。いったん立ち止まり、仕切り直しすべきだ。

 玉城知事は今回、政府からの承認の「指示」に対し「期限までの承認は困難」と回答した。不承認と明言しなかったのは悩んだ結果だろう。行政機関のトップとして最高裁の判決は尊重しなければならない。一方、沖縄では19年の県民投票で辺野古埋め立てに「反対」が7割を超え、玉城氏は昨年9月の知事選で移設反対を掲げて再選された。板挟みの中、苦渋の判断と言える。

 だが、なぜ沖縄の知事が苦しまなければならないのか。苦悩を負わせている本土の側の責任を自覚すべきだ。

 「代執行」は多くの論点を突きつけている。防衛省の試算でも軟弱地盤改良のため、総工費は当初計画の約2・7倍、約9300億円に膨れ上がる。さらに埋め立てが完了したとしても滑走路は地盤沈下が想定され、実際に使用できるかどうかも分からない。一度始めた公共事業が止められなくなる典型的なケースではないか。

 国と地方の関係も問い直されるべきだ。対等とされながら、地方の民意は顧みられず、司法も法的な解釈論だけで、政府の手続きを追認する。

 そして安全保障政策だ。玉城知事は先日の国連人権理事会で、基地建設と政府が進める防衛力強化に対して「周辺地域の緊張を高め、平和を希求する県民の思いと相いれない」と訴えた。東シナ海に位置する沖縄だからこそ、政府に求められるのは、地域の緊張緩和に向けた拠点とするような政策構想力ではないか。