JR木次線を走る「奥出雲おろち号」が23日、26年間の歴史にピリオドを打った。ガラスのない開放的な車窓から大自然の風景が楽しめ、中国山地の急勾配克服を目的に設けられた「三段式スイッチバック」を行く観光列車として全国の観光客や鉄道ファンに知られる存在だった。幼少期から鉄道が好きだった記者がおろち号の思い出を振り返りながら、利用者数低迷にあえぐ木次線の将来を考える。 (政経部・石倉俊直)

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 記者は小学校低学年だった1998年5月、運行開始間もない奥出雲おろち号を見たいと父にねだって、木次駅(雲南市木次町)から備後落合駅(広島県庄原市)まで車で追いかけた。JR発足から10年程度過ぎた当時は、古めかしく地味な国鉄時代の塗装の車両があちこちで走っていた中で、白と青、グレーで構成した銀河鉄道を思わせる神秘的な塗色のインパクトは強く、進行方向を変えながらスイッチバックをよじ登る姿も食い入るように眺めていた。

満開のサクラを見ながら走る奥出雲おろち号。窓のないトロッコ車両は国鉄時代の客車を改造したもので、当時の面影はほとんどない=島根県奥出雲町馬馳

 90年代は嵯峨野観光鉄道(京都府)、釧路湿原ノロッコ号(北海道)、トロッコわたらせ渓谷号(群馬、栃木県)など、全国でガラス窓のないトロッコ列車の運行開始が相次いだ。いずれも風光明媚(めいび)なローカル線や廃線となった区間を活用して誕生し、地方鉄道の路線活性化の一翼として有効との認識が広まっていたように感じられた。

 おろち号も例外でなく、沿線の人口減少や道路整備で、利用客が減少の一途をたどっていた木次線にとって、県内外から観光客が訪れるきっかけを作る「救世主」となった。当時の鉄道関連の雑誌やビデオでも、スイッチバックを...