絵本「はらぺこあおむし」
絵本「はらぺこあおむし」
岩田英作教授
岩田英作教授
絵本「はらぺこあおむし」 岩田英作教授

 「これ、弟と一緒に読んだ絵本です」

 そう言って、学生の一人が思い出の一冊として紹介してくれたのは「はらぺこあおむし」だった。かなりの年季が入っていて、食べ物の穴の部分は、兄弟でどれだけ指でほじほじしたことか、いびつに大きく広がっていた。「一生取っておきたい、お二人の宝物ですね」。そんなやりとりをしたのが、エリック・カールの訃報が届くつい10日ほど前の授業でのことだった。

 「はらぺこあおむし」が1969年に米国で出版されたあと、これまで60以上の言語に翻訳され、世界中の子どもたちにほじほじされるようになるまでには、カールの絵本作家としてのすぐれた才能はもちろんのこと、そこには彼のことをよく理解し支えた人々の姿があった。自伝「子どもの夢を追って」で、カールはそれらの人々について感謝の念と共に書きつづっている。

 カールの絵の才能をいちはやく見いだしたのは、彼が小学校に入学した時の担任の先生だった。ある日、カールの母は学校から呼び出され、とっさに息子の悪事を予想した母は見事に裏切られることになる。先生から告げられたのは、カールが絵を描くことを好み、しかもすばらしく上手であること、今後親としてその才能を見守り育ててほしいということだった。長い戦争の時代が終わり、焦土と化したドイツで10代半ばを迎えたカールに、これからは美術を思いきり学ぶように勧めてくれたのは、ほかならぬ母だった。

 米国生まれのカールは、いま述べた担任の先生の一件から間もなく、両親の母国であるドイツに移住することになる。米国に比べてしつけに厳しいドイツ流の教育は、カールを学校嫌いにさせるのに十分だった。折しもドイツではヒトラーが台頭し、カールの周囲はナチスのハーケンクロイツで塗りつぶされていった。しかし、そんな中でも、カールは一人の美術教師によって一条の光を見いだすことができた。その先生は、ある日、カールを自宅に招き、誰にも言わないように念押しして、ナチスによって「堕落した芸術家」の烙印(らくいん)を押されたピカソやマチス、ブラックらの絵の複製を見せてくれたのである。カールは「目の前がくらくらするほどの衝撃」を受け、「これらの絵の自由さを覚えておくんだよ」という先生のひと言を胸にしまった。

 大人になったカールは再び海を渡り、米ニューヨークでいよいよ絵本作家として歩み始める。そこでも「スイミー」などで知られる絵本作家レオ・レオニや優秀な児童文学編集者アン・ベネデュースたちとの出会いがカールの活動を支えた。

 「はらぺこあおむし」は葉っぱの上に白い小さな卵が載っている場面から始まる。その中央にはひときわ大きな月が描かれていて、穏やかな笑みをたたえていた。そうしてはらぺこあおむしが誕生してからは、にこにこ顔のお日さまがあおむしを温かく見守っていた。はらぺこあおむしは、けっしてひとりで大きくなり、見事なチョウに変身したわけではなかったのである。

  (敬称略)

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 エリック・カールさんは5月23日死去。91歳。

 

 いわた・えいさく 1963年、雲南市生まれ。島根県立大人間文化学部教授。専門は日本近代文学。松江キャンパス児童図書館「おはなしレストランライブラリー」代表。島根県しまね子ども読書活動推進会議委員長。