撮影地:小泉八雲旧居(松江市北堀町)

 松江を愛した文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とその妻セツに光を当てた小説「ヘルンとセツ」。二人の出会いから文学作品に結実するまでをドラマチックに描いた脚本家・田渕久美子さんと、松江市の上定昭仁市長が、作品や松江の魅力をテーマに語り合いました。

大文豪を陰で支えた妻・セツ


田渕 1983年に放映されたドラマ「日本の面影」を見て、ハーンを支えたセツという人物にドラマを感じていました。事を成した男性の陰には必ず女性がいます。ただ、その女性に光が当たることは少ないんです。私はセツを書きたいと思いました。

 ただ、資料が残っていません。それは、言い方を変えると創作できるということです。その人たちの生き方や思いを、今を生きる私の目で、今を生きる人たちに届くメッセージとして伝えられる面白さがあります。今回は孝行を尽くし、ハーンにほれ込むセツの気持ちを徹底的に想像しました。

市長 執筆された際、一時的に体調を崩されたとお伺いしました。

田渕 小説の後半に差し掛かると、左目が痛くなり、気づいたらハーンと同じ目になっていました。今は治りましたが、実はそういうことがよくあるんです。

市長 セツはハーンに怪談を聞かせ、生活を支えながら作品をともに作り上げています。セツがいなければ、「怪談」は生まれなかったでしょう。外国人と会うことが珍しい時代に、しかも全国に比べても保守的な松江のまちで、ハーンを受け入れ結婚に至ったセツの決断力には目を見張ります。

田渕 セツにはあくなき好奇心があったと思います。ハーンは大文豪と評価されますが、私は人間ハーンを描きたかったんです。好きな女性にいいところをみせたいという人間の血を通わせました。

市長 私たちの生きる現代に、大きな示唆を与えてくれる作品ですね。
 

小泉八雲と、その妻セツが住んだ小泉八雲旧居。八雲が作品に著したままの姿で保存され、1940(昭和15)年から国指定の史跡になっている
 

本物の日本が残る松江


田渕 39年前に思いついたけど、ドラマ化に向けて何度チャレンジしてもだめでした。小説を書き上げたことで、いよいよ光が当たるのではないかと思っています。

市長 まさに、今、松江にも光が当たり始めていると感じます。東日本大震災や新型コロナウイルスの流行があって、家族や地域のつながりの大切さに皆が気づきました。リモートワークが可能になる一方で、物理的に会うことの意味がわかりました。そんな中、松江には、家族や地域を大切にする昔ながらの日本が残っています。

田渕 松江は「雅(みやび)」があります。それを今まで外にアピールしてきていないんですよね。上定市長は外から松江を見た経験を基に、松江のすばらしさに気づいたということですね。

市長 本市が2月に策定した観光戦略プランでは、そのコンセプト「Authentic Japan “MATSUE”」ホンモノの日本があるまち松江としました。確かにシンガポールや米国で暮らしたからこそ松江の魅力が世界に誇れるものだと確信しました。それを市民の皆さんと共有し、海外にも発信していきたいですね。
 

小泉八雲旧居に隣接する小泉八雲記念館(松江市奥谷町)
 

「ヘルンとセツ」新時代の道標に


田渕 私も23歳でドイツに留学し、外から日本を見ました。この経験がなければ、日本のことはわからなかったと思います。それから、日本の感覚、すばらしさをどう表現するかに心を砕いてきました。
 
 私にとってのテーマは日本と女性です。ずっと日本をどう描くか、日本とは何かという思いをもって作品を手掛けてきました。今回はそのひな形として「ヘルンとセツ」という作品で世に問いました。

市長 海外では率直な物言いをしますが、山陰独特のほのめかす文化や行間を読む所作は奥ゆかしく上品です。一方で、時として外交的になって自慢したり挑戦することも必要です。

 本市が現在取り組んでいる「MATSUE起業エコシステム」は、産官学金の連携で新しいビジネスモデルを生み出す仕組みをつくるもので、松江でチャレンジできる環境を整えます。ハーンの唱えた「オープン・マインド」の精神につながる、チームワークを活かした積極的な取組みです。

田渕 「ヘルンとセツ」のドラマ化に向けても動いていきたいです。

市長 ドラマ化されれば、多くの方に松江を知ってもらう機会になります。セツという女性の生き方が私たちに勇気を与え、次の時代にどうあるべきかという示唆に富んだドラマになると期待しています。新しい時代の道標が見つかるのではないでしょうか。
 

小泉八雲記念館にて小泉凡館長から収蔵品について説明を受ける田渕さんと市長
 
記念館には、セツの遺品も収蔵されている