かつて松江高専に勤務していた時、「そうしていただけると喜びます」と書かれたメールを受け取ったことがある。メールの中心的な内容はさておき、「喜びます」の代わりに「うれしいです」「助かります」「ありがたいです」と続けば、さほどの違和感は感じなかっただろうが、「?」という一瞬のモヤモヤ感は否めなかった。
よそから来た者にとっては直感的な印象として、書いた(話した)本人ではなく、別の誰かが「喜ぶ」というふうに受け取ってしまう。
他者が喜ぶのと同等に、自分さえも同じように喜びを感じているだけに過ぎないという、へりくだりなのだろうか。または逆に、自分の受けるべき喜びは、そのまま周りの人たちの喜びにもつながる、という気持ちの表れなのだろうか。古都松江の奥ゆかしさが、こういった言葉遣いの中に巧妙に反映されているように感じられる。
出雲市在住...