松江市の男性から送ってもらった1923年6月20日の松陽新報夕刊
松江市の男性から送ってもらった1923年6月20日の松陽新報夕刊

 本紙の紙齢3万号に合わせた17日の小欄で、奈良県の女性から本紙の前身となる島根新聞を送ってもらった話を紹介した。紙齢の起点となる1942(昭和17)年元日の創刊号。何も告知していないにもかかわらず、「昔の新聞を見つけたから」と偶然このタイミングでいただいた。

 偶然は重なった。3万号発行前の今月上旬、松江市の男性から同じような申し出を受けた。届いたのは1923(大正12)年6月20日の松陽新報の夕刊。島根新聞は松陽新報と山陰新聞が合併して誕生しており、こちらも本紙の前身に当たる。

 当時の松陽新報は朝刊4ページに加え、夕刊も4ページ発行していた。明治最後の年となる12年に京都から出雲まで鉄道が全通。大阪に本社を置く大手の新聞がその日のうちに松江や出雲に届くようになり、対抗策として夕刊発行に踏み切ったという。生き残りを懸けた競争は当時から激しかったようだ。

 23年は日本にとって激動の年でもあった。8月24日、当時の加藤友三郎首相が在任中に病死。首相不在という異常事態の中、その8日後に関東大震災が起きた。

 山陰はどうだったのか-。送ってもらった松陽新報を読むと<来月一日から電話料金値上げ>という見出しの記事を見つけた。電話交換の仕組みを変更するのに伴って値上げするとの内容だった。それから102年。物価高騰に庶民が苦しめられる状況は昔も今も変わらないようだ。(健)