先月、奈良県の女性から新聞社の読者ホットラインに連絡が入った。島根県飯南町にある夫の実家を整理していたら昔の新聞が見つかったので必要なら送るという。
後日届いたのが本紙の前身である島根新聞。1942(昭和17)年から3年分の元日付紙面で、「戦中の空気を感じながら一読しました」と感想が添えられていた。さすがに黄ばんでいたが保存状態はよく、大切に扱ってもらっていたことがよく分かる。新聞人としてありがたい。
ありがたいことが、もう一つ。実は42年の元日付紙面は島根新聞の創刊号に当たる。小欄の上にある「紙齢3万号を迎えて」で詳細な歴史を紹介している通り、貴重な資料である。当時の1面の左上には「第一號(号)」の文字がある。発行した新聞の通し番号のことで紙齢と呼ぶ。
それから数えて80年以上。本紙はきょう紙齢3万号の節目を迎えた。とはいえ、発行が当たり前ではない時代もあった。敗戦直後に松江で起きた「県庁焼き打ち事件」で新聞社も襲撃を受け、通常紙面の印刷や発行が不能になり、タブロイド判2ページに縮小して発行を続けたという。
ちなみに創刊号に1面コラムはない。「明窓」がスタートしたのは6年後の48年元日。当初は迷走や瞑想(めいそう)につながる恐れを懸念し「あかりまど」と読ませる案も検討したそうだ。本紙を支えてくださる読者の皆さんを迷わせぬよう、これからも精進します。(健)













