「この町はこの先どうなるのだろうか」。つぶれた住宅、道路に崩れ落ちた土砂。2000年10月6日に起きた鳥取県西部地震、最大震度6強の揺れが襲った日野町の惨状を目の当たりにした時の正直な感想だ。当時20代の駆け出し記者だった。米子市から片道2時間以上かけて日参する中、88歳の男性に出会った。
自宅は全壊し、仮設住宅に長男の妻と2人暮らし。取材の度に「仮設の味だ」と昼食をごちそうになり、年末に一緒に山に上り門松を作った。「起きたことはしょうがない。前を向いて生きんと」。逆境に立ち向かう強さを見た。自宅は県の支援制度も受け、県外から戻った孫が再建した。
「明かりをつけたままでないと安心して眠れん」「ここで住み続けたい。ここで死にたい」。高齢者の本音も聞いた。不安を和らげたのは地域住民やボランティア。地震による人口流出はほとんどなかった。
あの日から四半世紀。若手記者が取材し、5回にわたって企画「教訓の継承」を掲載した。伝えたかったのは、災害はいつ起きるか分からない、普段からのつながりがいざという時の備えになる-ということ。地震を経験した町には支え合いが根付く。
先月末、日野町を訪れた。川のせせらぎを聞き、雄大な山々を見て25年前に出会った人たちの姿と言葉が走馬灯のようによみがえった。大事なのは忘れないこと、つなぐこと。その思いを強くした。(添)













