仲間も家族もそばにいて
ご飯がおいしい
何より仕事が最高に楽しいんですよ
「10代の頃に仲間たちと約束したんですよね、それぞれの場所で腕を磨いて将来は地元で一緒に仕事しようって」。そう語る徳富陽介さんは、今まさに10代の頃に描いた未来を故郷の島根で実現しています。


地元への想いを胸に都会へ
地元浜田市で建設の仕事をする徳富さん。お母さんの実家が建設会社を営んでいた関係で、幼少期から建設用の機械は身近な存在。その影響もあり、小学校の文集には『建設会社の社長になる』と書いていました。

「ずっと乗り物が好きなんですよね。物心つく頃から大きな建設用重機をワクワクして眺めていました。その憧れのまま、自然と建設業界で働くイメージを持つようになったんだと思います。10代の頃から母の実家の建設会社を手伝ったりしていたんですけど、会社を引っ張っていくような人間になるには勉強が足りないって感じたんです。それで広島の工業系の専門学校に入学して、卒業してからは広島の建設会社に就職しました」

広島の社会人時代は大手建設会社の若手の有望株。将来を期待され、数年で大きな建設現場も任されるまでに。プライベートでは同じ浜田市出身の綾乃さんと結婚し子宝にも恵まれます。仕事も家庭も順風満帆な広島暮らしで、地元への想いは揺らがなかったのでしょうか。

「たしかに広島は楽しかったです。学生時代の友達とあちこち遊びに出かけたり、将来を語り合ったり。仕事では尊敬する上司に出会えて、人として大きく成長させてもらいました。広島は都会なんで色んな人がいますし、遊ぶ場所も多くて刺激的です。でも最終的に地元に帰りたいという想いはずっと変わりませんでしたね。それはやっぱり、地元の仲間たちの存在が大きかったです」

徳富さんの自宅。家族と隣に暮らす両親とみんなで囲む食卓がいつもの風景。

語り合った将来、故郷で交わした仲間との約束
「自分が広島へ出る時、同世代の地元の仲間たちと約束したんですよ。将来は3人でうちの実家の『丸久建設』を引っ張っていこう、一緒に働こうって。ひとりは2つ年上の従兄で、もうひとりは幼馴染の同級生。子どもの頃から一緒に遊んできた仲間たちです。そのふたりに、自分は広島で修業を積んで戻ってくるから、その時までそれぞれの場所で経験を積んでいてくれって話をしたんです」
 
徳富さんが広島県の企業で働いている間、従兄の馬場玲於名さんは大手ゼネコンで大規模な建設現場を経験。幼馴染の大石耕平さんは丸久建設で働き、社内でもトップレベルの技術者に成長していきました。3人で語り合った将来の夢を思い描き、それぞれが腕を磨いた修業期間でした。

「地元に残った幼馴染の大石には『俺は大きくなって浜田に戻ってくる。それまで一流になって待っていてくれ』と話していました。でも、不安だったと思いますよ。広島にいる自分がいつ帰って来るか、そもそも本当に戻るのか。何の保証もないですから。でも3人で働く未来は僕にとってずっと変わらない夢でした」

徳富さんが満を持してUターンを決めたのが一昨年の2月。20代後半になった3人が、約束どおり故郷の浜田に再び集まりました。10代の約束を、小学校の文集に書いた夢を叶える準備が整ったのです。

「仲間たちの成長を見るのも楽しみでしたし、自分も成長し準備してきた自負もありましたね。浜田に戻るタイミングで妻がうちの会社で働く決断をしてくれたのも嬉しかったです。仲間も家族も、みんなが故郷に集まって一緒にやっていこうっていう形ができたんです。希望もありましたし、責任も覚悟もありましたね。何があっても自分がみんなを引っ張っていくぞって」

地元の仲間たちと。着ている会社のユニフォームも3人で考えたもの。
 

地元に戻って後悔はひとつもない
地元に戻ってもうすぐ2年。現在の徳富さんの肩書きは「丸久建設 取締役」。会社の代表は祖父が務め、母と妻が事務方を担当。現場には従兄と幼馴染の姿。家庭も仕事も一体となった暮らしです。

「島根に戻って後悔は全くないです。戻って良かったことなら数えきれないくらいありますよ。魚をはじめご飯がおいしいですし、両親や家族も仲間もすぐそばにいてくれて。何より仕事が楽しいのが最高です。広島にいた頃とは仕事への向き合い方も変わりましたね。あの時は家庭で仕事の話はしないようにしていましたけど、今は家が会社で会社が家みたいな感じです。うちには職場の仲間が家族を連れてご飯を食べに来ますし、家族で仕事の話で盛り上がったりして。そういう時間は賑やかで楽しいですね」

仕事とプライベートを分けるのではなく、仕事も家庭もみんなで一緒に楽しむ。温かいつながりの中にすべてがある今の環境は理想的だといいます。

「こっちに戻った時に、仲間みんなで話をして最新の重機を導入したんです。道路の舗装をする機械で結構高いんですけど、未来への投資だって。その重機は僕らのアイコンみたいな感じで、愛着は強いですね。休みの日にオイルを差したり磨いたりとか、ひとりでじっくりメンテナンスする時間も大好きです。その重機で浜田の道を舗装するんですよ。地元の風景の中にきれいな道がスーっと通る。気持ちいいなあって思います。道路は地域で暮らす人みんなが使うものですし、みんなが感謝してくれます。生まれ育った街で仕事するっていいなあって思います」
 

デスクワークのほか取締役として会社の経営戦略を考えることも仕事。


大人になって思う島根の魅力
仲間と家族に恵まれ、地元で夢を叶えている徳富さん。これまでの人生を振り返り、今の暮らしをどう感じるのでしょうか。

「広島に出ていた時も地元に帰ってくると『ああ、この空気だよな』ってしっくりきたんですよね。呼吸がしやすいというか、居心地がいいというか。やっぱり生まれ育ったところが一番だなって思います。自分らしくいられる地元で、家族も仕事も大切にしながら夢を追いかけられる。今のこの暮らしが幸せです。10代の頃は馬鹿なこともやりましたし、親にもたくさん迷惑をかけました。でも、そうやって一緒に育ってきた仲間たちと地元で好きな仕事をできているんですよね。迷うこともありましたけど、これまでのすべての経験がつながって今があるんだなって思います」

昼食はお母さん手作りの弁当。3人のアイコンでもある重機の前で。

 徳富さんの大切な人たち

幼馴染・同僚:大石耕平さん
「中学を出て目標もなくフラフラしてた自分を『うちに入らん?』って丸久建設に誘ってくれたのがトミー(徳富さん)です。トミーが広島で修業していた間も僕は地元にいて、何年も待っていました。辞めようか悩んだりもしましたけど『絶対俺がなんとかするし後悔させん』って言ってくれて。だから地元に帰ってきた時は、嬉しかったです。同級生で、師匠で、戦友でもあって。トミーが誘ってくれなかったら僕はどん底の人生だったと思います。今は何があっても一生ついて行こうって決めていますし、会社を盛り上げて恩返ししたいんですよね」
​父:徳富悠司さん
「島根に戻る決断は本人も悩んだと思います。大きな組織で働く良さもあるけど、故郷のために能力を発揮するのもひとつの人生だよと、そういう話をしましたね。息子が帰ってくるのは率直に嬉しかったですよ。陽介が帰ってきて、仕事終わりに2人で酒を飲むようになりました。私も若い頃は親父と晩酌しながら色々話してね。それは息子にも経験させたいと思っています。まあ、大抵はくだらない話をしてますけど、それくらいが楽しいですよ。戻ってきて彼も頼もしくなったと思いますし、のびしろもありますからね。これからがますます楽しみです」     
​従兄・同僚:馬場玲於名さん

「大学生の時に『やりたいことあるん?』って陽介が聞いてきたんです。『まだなかったら、将来一緒に丸久建設で働かんか』って言ってもらって。それで修業期間として大学を出て建設系の会社に入ったんです。年齢は2個下ですけど、陽介は技術も会社で1、2を争うレベルですし、ものの見方や柔軟性も、同世代としては大したもんだなと。小さい頃は後ろをちょこちょこ歩いてた弟分が、気づいたら2、3歩前を全速力で走っている感じですね。頼もしくもあり尊敬もしていますし、自分も頑張らないとって思わせてくれる存在です」

Profile
徳富陽介さん(27歳)/広島県から浜田市へUターン
重機に憧れる幼少期を過ごし、建設業を目指して広島の専門学校へ進学。卒業後は広島の大手建設会社へ就職。現場経験を積みUターンし、祖父の立ち上げた「丸久建設」に入社。同世代の仲間たちとともに会社を引っ張る存在に。5歳、2歳、1歳の3児の父。

 


(文:山若マサヤ 写真:七咲友梨)


 

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