やっと光が差した。黒海沿岸に臨む五輪公園の表彰会場で、竹内智香(40)は銀メダルを掲げ留飲を下げた。2014年ソチ冬季五輪。スノーボード女子の日本勢で初めて表彰台に立って脚光を浴びた。前途洋々に思えた。
体格が勝負を大きく分ける競技だ。世界一を夢見ても、国内の指導者らは「日本人には無理」と本気で相手にしてはくれなかった。でもメダルで見返せた。トップアスリートにふさわしい待遇を勝ち取れる―。
しかし、現実は厳しかった。評価はされても、強化の費用や環境はマイナー競技の域を出ない。もう淡い期待はしない。「五輪やメダルにすがらない人生にしよう」と心に決めた。
▽信念貫く
10代半ばから世界を強く意識し始めた。だが、スノーボードは日本選手の伝統や実績が乏しい。スポンサー集めが難しく、練習場所や設備は欧米の強豪国に大きく見劣りした。「ないものはない。この国に生まれ、このスポーツを選んだ以上、それが宿命。そこでやり抜く力をつけるしかない」。そう悟った。
06年のトリノ五輪では9位と健闘したものの、強化環境には限界を感じていた。翌年、単身スイスに渡って金メダリストらとの合同練習を決行する。初めはベビーシッターをしながら居候生活を続け、寝袋で眠ったことも。大変だとかつらいとか思っている余裕はなかった。「何も分からないからこそ挑戦できた」。09年、世界選手権で4位入賞を果たし報われた。
喜びもつかの間、10年のバンクーバー五輪は13位に沈んだ。「『努力は裏切らない』という言葉があるけど、平気で裏切る。それでも見返りを求めずに継続することが大事だと思った」。日本代表でありながらスイスに軸足を置く単独行動に批判もあったが、信念を貫いた。そして4年後、雪辱の表彰台に上った。
▽卵子凍結
実はバンクーバー五輪の前年に、人生の重要な局面を迎えていた。卵巣嚢腫(のうしゅ)の手術で、...