出雲市斐川町沖洲の福田幸市さん(98)が、民間企業時代に培った技術を生かして、農機具修理といった依頼をこなす「お助けマン」として地域住民から親しまれている。敬老の日(16日)を前に「これからも元気に生きていきたい」と、ますますやる気をみなぎらせる。
1926年に現在の出雲市内で生まれた福田さんは、地元の尋常高等小学校を卒業後、造船所、建設会社、鉄工所などで勤務し、土木工事や宍道湖での船舶操縦などに従事。戦時中は召集令状が届き、45年8月15日、出征のため荘原駅から鳥取県に向かう列車内で終戦を知り、翌日引き返した。「人間が人間ではなく部品になってしまう。戦争はばからしい」と、平和の尊さをかみしめ80歳まで働いた。
この間、自動車整備士や小型船舶操縦士になるための資格を取得。旧国鉄が手掛けた鉄橋の架け替え工事では、杭(くい)を溶接する技術が社内で高い評価を受けた。
身に付けた技術を生かし、依頼に応じて農機具のほか自治会のごみ箱や個人宅のかまどを修繕。新型コロナウイルスがまん延しマスクが不足していたころは、知人から壊れたミシンを譲り受けて修理し、マスクを作って配ったこともある。
近くに住む福間良子さん(68)は「農業用のハウスや小型耕運機を直してもらったりとすごく助かる」と頼りにする。4年前に妻を亡くし、1人暮らしとなった後も畑を耕すなど毎日体を動かしているためか、耳が遠い以外はすこぶる元気だ。
来年1月は親戚が白寿の祝いをしてくれる予定。長寿の秘訣(ひけつ)を尋ねると「世の中に感謝し物事を深く考えないこと。なるようになるんだから」と笑顔で語った。 (佐藤一司)