東京五輪・パラリンピックの開会式で楽曲制作を担当した小山田圭吾氏が、学生時代のいじめを巡って辞任した。過去に自ら雑誌で告白した行状は卑劣極まりなく、辞任は当然といえる。

 だが、より重大な問題は、そうした事実が明るみに出た後も小山田氏を擁護し、続投させようとした大会組織委員会の人権感覚と判断力の欠如だろう。これを個人の問題として終わらせてはならない。

 小山田氏の問題では「なぜ大昔のことを蒸し返すのか」という反応も多い。だが、本人も大筋で認めている内容は「いじめ」という言葉で片付けるにはあまりに悪質な行為であることをまず指摘しておきたい。

 被害者の生徒を全裸にし、プロレス技をかけた。知的障害が疑われる別の生徒を段ボール箱に閉じ込め、皆で笑いながら反応を観察した―。字にするだけでも気分が悪くなる行為を笑いながら再現する様子は、四半世紀以上前の記事とはいえ言葉を失う。

 知的障害者の親らでつくる「全国手をつなぐ育成会連合会」は「凄惨(せいさん)な内容で、いじめというよりは虐待、暴行と呼ぶべき所業」と非難し、「五輪・パラリンピックを楽しめない気持ちになった関係者が多数いる」と訴える声明を出した。当然の反応だろう。インターネットを通じて拡散された「昔話」は、当事者だけでなく、過去にいじめに遭った多くの人々の心の傷も再びこじ開けた。

 ただ、ここまでは小山田氏個人の資質の問題だ。より危機的なのは、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進」をうたう五輪憲章を守る立場にある組織委の方だ。

 問題となった雑誌記事は以前からネットで流れており、調べるのは簡単だったとの指摘がある。組織委は知らなかったとしているが、基本的な調査すらせずに大役に起用した責任は重い。

 問題が表面化した後の組織委の反応はさらに深刻だ。武藤敏郎事務総長は「十分に謝罪し、反省している。引き続き支え、貢献してもらいたい」と擁護。高谷正哲スポークスパーソンは辞任当日の記者会見でも「現在は高い倫理観を持って創作されているクリエイター」と小山田氏をかばい、交代させる考えはないことを強調した。

 これらの発言は、単に世論の風向きを読み誤ったなどというレベルにとどまらず、根本的な人権感覚や善悪の判断能力のなさを露呈したと言わざるを得ない。

 大会関係者の辞任はこれが初めてではない。今年2月、組織委会長だった森喜朗元首相が女性蔑視発言で辞任。3月には開閉会式の演出統括役だった佐々木宏氏が女性タレントの容姿を侮辱する演出案を提案して批判を浴び、辞任した。2015年には盗用疑惑で公式エンブレムを選び直す失態もあった。

 一連の不祥事で浮かび上がるのは、この国で重要な意思決定に関わる集団に共通する共感力のなさだ。差別でも盗用でも、自分や家族が被害に遭ったらどんな気持ちになるのか。そんな想像力を持たない人々が、仲間内で仕事を回し合い、異論を封じ込めようとする。

 スポーツや教育、社会活動を通じて、他者への共感をどうやって培うか。ずっと前から向き合うべきだった課題に、今度こそ目を向けたい。