山陰中央新報社文化センターの連続講座「ミステリアス島根半島~四十二浦巡り・ジオパーク探訪~」が19日、松江市殿町の松江教室で開講した。初回は15人が受講し、島根半島四十二浦巡り復活の立役者である歴史学者の故・関和彦さんの功績に理解を深めた。その後、江戸時代に広まっていたとみられる「出雲四十二浦之垢離取(こりとり)歌」の刷り物を当時の版木を使って手刷りし、現代によみがえらせた。
初回は島根半島四十二浦巡り再発見研究会の事務局長で、島根半島文化研究者の木幡育夫さんが「四十二浦再発見、関和彦博士」と題して話した。
関さんが2009年7月、島根県立図書館で行った講演「一畑薬師への旅-四十二浦の浦々-」で四十二浦巡りを観光振興に生かすよう提案したことが契機になって、10年3月に研究会が発足したことを木幡さんは説明。関さんに研究会座長を務めてもらい、ガイドブック作成やバスツアーなど地道な活動を続けた結果、廃れていた信仰習俗の島根半島四十二浦巡りが再認識されるようになった歩みを振り返りながら、19年に72歳で急逝した関さんをしのんだ。
「出雲四十二浦之垢離取歌」は、島根半島の浦々42カ所の海で身を清め、神社に参る「垢離取り」の際に詠まれる和歌という。神社ごとに1首、計42首ある。関さんが「出雲国風土記」ゆかりの地を巡る中、大根島(松江市八束町)でその存在を知り、四十二浦巡りに注目するきっかけになった史料で、05年に著した『古代出雲への旅 幕末の旅日記から原風景を読む』(中公新書)に劇的な出合いの経緯を記している。
研究会によると、江戸時代には垢離取歌の刷り物が出回っていたことが、当時の版木(制作年不明)が八束町内に残っていることなどから推測できるという。今で言うガイドブックの類いとみられ、講座ではこの版木を使って垢離取歌を手刷りした。神戸市から駆け付けた研究会会員で画家の木村葉子さんの手ほどきを受けながら、受講生が一人ずつ体験。小さな文字が丁寧に彫られた縦約30センチ、横約50センチの版木に黒いインクを伸ばし、和紙を押し当ててはがすと、和紙に垢離取歌が刷り込まれた。
刷り物は2段に分けて組まれており、最初に「出雲四拾二浦之垢離取歌」の題名が記され、説明文らしき文章の後には「西塔武蔵坊弁慶作」とある。その後、神社名と和歌が順番に記されている。和歌の判読は一般には難しいが、神社名は「日御碕大神宮」に始まり、「宇龍大社」「杵築大社」と続いて、半島東部の「三保関美保大明神」「福甫三保大明神」まで計42社で終わっていることが確認できる。受講生たちは、出来上がった刷り物を手に、島根半島の浦々を巡った先人に思いをはせた。
連続講座は、島根半島で受け継がれる信仰習俗の「四十二浦巡り」や、「島根半島・宍道湖中海ジオパーク」に認定された独特の地質地形について学ぼうと、島根半島四十二浦巡り再発見研究会と共催し全15回。来年12月まで毎月第3土曜の午後1時半~3時に開催する。受講料は3カ月ごとに6600円(3講義分)を支払う。文化センターを初めて利用する人は入会金3300円が必要(割引制度あり)。問い合わせ、申し込みは文化センター松江教室、電話0852(32)3456。
※文化センターホームページの四十二浦巡りのページ
https://www.sanin-chuo.co.jp/page/bunka/boshuu/shimanehantou.html
※島根半島四十二浦巡り再発見研究会のサイト
http://www.42ura.jp/