大会史上初めて延期された東京五輪は23日、観客なき国立競技場で開会式が行われる。空席だらけの巨大スタジアムは、世界が新型コロナウイルス感染症との闘いから抜け出せていない事実を改めて突きつけるだろう。

 開会式だけではない。大半の会場が感染防止のため無観客になる。各国の代表選手たちが、歓呼の声と拍手を浴び、それを力の源とする最高の舞台を、開催国の日本は用意できなかった。

 それでも日常生活のほぼ全てを五輪のために費やしてきた選手たちが、ベストを尽くせるよう願う。五輪開催を巡ってはいまだに賛否両論があるが、選手たちの躍動はコロナ禍にある国内外の多くの人々に感動と勇気をもたらすはずだ。

 そのためには何としてもコロナの感染拡大に歯止めをかけなくてはならない。「東京2020大会」と銘打った今回の五輪は、パンデミック(世界的大流行)により1年先送りされた。だが東京など首都圏では新規感染者が急増。外部と遮断された「バブル」の中にある選手村内でも感染者が出ている。

 政府と大会組織委員会は、対策の再構築と徹底を図らねばなるまい。いらぬ混乱や疑念を招かないよう感染者が発生した国名や競技名に関する情報公開も欠かせない。「安全、安心な大会」を公約した菅義偉首相の責任は重い。

 主催者である国際オリンピック委員会(IOC)も当然、感染防止の責務を担う。にもかかわらずバッハ会長らが「賓客」待遇を受けている姿ばかりが目立つようでは、日本国内の反五輪感情を高めるだけだ。感染がまん延すれば、大会中止という最悪の事態もありうるとの危機意識が足りないのではないか。

 日本での夏の五輪開催は1964年以来、2度目である。共同通信の世論調査によると、五輪によるコロナ感染の拡大に強い不安を覚えながら、競技を「楽しみにしている」との回答が70%を超えた。選手の励ましになる数字だろう。ただ、開催して終わるだけでは、今後の五輪に継承する東京五輪のレガシー(遺産)は生まれない。

 時代はさかのぼるが、1920年のアントワープ五輪もスペイン風邪の余波が残る中で開かれた。近い将来、五輪が再びパンデミックに見舞われる可能性は否定できない。東京五輪の感染症対策を厳格に検証し、落ち度も隠蔽(いんぺい)することなく伝えていく必要があろう。

 五輪開催にかかる巨額経費、商業主義化の問題も露呈した。開催都市に重い負担を強いるシステム、放映権料や企業からのスポンサー料に頼った五輪の運営に疑問の声は根強い。肥大化した「スポーツの祭典」の本来あるべき姿を追求し、改革につなげる機会にしたい。

 世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする―。「東京2020大会」基本コンセプトの中核である。

 テニスの大坂なおみ、バスケットボールの八村塁、ゴルフの笹生優花ら各選手の存在、パラリンピック選手の奮闘とボランティアの献身を見れば、納得できる部分もあろう。しかし、今の日本が多様性と調和を尊重していると胸を張れる状況にあるのか。五輪から目を転じ、われわれの社会のありようも問わねばならない。