1964年10月1日。東海道新幹線の開業初日、ある運転士が旧国鉄上層部の「時速160キロ」の運行指示に背いて速度を上げ、210キロを出した。

 新大阪発の一番列車「ひかり2号」を運転した大石和太郎さん(91)だ。日本の鉄道史を彩るこのエピソードの主役と言える。開業にたどり着くには多くの苦難があった。仲間との合言葉は「新幹線を俺たちの手で」だった。

 大石さんは、世界最速を目指して共に...