昭和末期から平成初期にかけて竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))漁労の経験者が相次いで亡くなり、返還運動は停滞期に入った。沈黙が続いた1989年7月、ある音楽イベントが開かれた。主催したのは、漁労の拠点だった島根県隠岐の島町久見地区に在住する石橋健二さ...
竹島問題の「なぜ」 島根県条例制定20年(5)なぜ返還の訴えが広がったのか 隠岐の首長が発火点に
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