のちに「抽象彫刻のパイオニア」として数多くの彫刻作品を生み出す澄川喜一(1931~2023年)=島根県吉賀町出身=は、太平洋戦争中に1度、「死」に直面した経験を持つ。

8月14日、岩国への空襲で死の淵 翌日見上げた空は青く

 生まれ育った島根県吉賀町から離れ、進学したのは山口県の岩国工業学校(当時)だった。戦時中で、授業は週に2日ほどしかなく、残りは在郷軍人(退役軍人)や傷痍(しょうい)軍人との勤労奉仕に当たった。「ただただ軍人から『あれをやれ、これをやれ』と言われ続ける。惨めだったね」。出口の見えない生活の中でも、配管パイプの接続...