「母は沈黙を続け、できるだけアメリカ人になろうとしていた」

 アメリカ・ロサンゼルス郊外に住む日系人のグレース・ヨシモトさん(69)は母・礼子さん(96)の戦後をそう語る。

 1945年8月6日、米軍が原子爆弾を落とした日に礼子さんは生まれ育った広島にいた。当時16歳。

 広島市郊外の叔父の家に疎開していたが、市中心部にいた父を捜しに行き残留放射線を浴びた。父とは再会できたが、焼け野原で髪を逆立て、ひどいやけどを負った人をたくさん見たという。

 戦後、進駐軍兵士としてやってきた日系2世善本忠玄さんと出会って結婚。1954年にアメリカに渡り、翌年グレースさんが生まれた。

 しかしグレースさんが礼子さんの被爆体験を詳しく聞いたのは20代後半に入ってから...