太平洋戦争中、戦火を逃れて疎開したり、植民地で学徒動員されたりした人たちがいた。80年前の8月の敗戦をどこで、どう受け止めたのか。拉致被害者家族の横田早紀江さん(89)と、非核と非戦を訴え続ける元広島市長の平岡敬さん(97)に聞いた。

 暑い一日だった。9歳だった私はあの日、疎開先で現在の京都府京丹波町の龍...