島根県隠岐の島町でこのほど、奈良時代に始まる駅伝制で、役人の身分を示した駅鈴について学ぶ講演会があった。国重要文化財で、国内に残る唯一の駅鈴「隠岐国駅鈴」が、江戸時代後期に脚光を浴びた経緯や広がりを元県古代文化センター特任研究員の野々村安浩さん(72)=松江市菅田町=が解説した。
同町下西の玉若酢命神社に収蔵される駅鈴は1790年、社家の億岐幸生が都に持参して光格天皇の御所遷宮行列に加わった。野々村さんは行列の数年前までに、幸生は駅鈴を帯同して上京し、知識人や愛好家が駅鈴を模写した記録があることを指摘した。中には模造品を配布するといった動きも見られたという。
遷宮行列が終わり、19世紀に入っても随筆や読本の中に隠岐国駅鈴が登場する。記述の中には土を使って模造品を作り、土産物のような形で販売している様子が記述されていた。
文献の記述を要約した野々村さんは「江戸後期には遷宮行列で駅鈴が注目されて、いろいろな広がりを見せた」と紹介した。
講演会は住民団体「古代に想いを馳せる会」が主催し、20人が聴講した。
(鎌田剛)













