大塚康生さんが津和野で描いた8620形蒸気機関車のスケッチ画像(1945年)
大塚康生さんが津和野で描いた8620形蒸気機関車のスケッチ画像(1945年)
南正時さん(右)の蒸気機関車写真展の会場を訪れた大塚康生さん=2020年10月、さいたま市大宮区、鉄道博物館
南正時さん(右)の蒸気機関車写真展の会場を訪れた大塚康生さん=2020年10月、さいたま市大宮区、鉄道博物館
大塚康生さんが津和野で描いた8620形蒸気機関車のスケッチ画像(1945年) 南正時さん(右)の蒸気機関車写真展の会場を訪れた大塚康生さん=2020年10月、さいたま市大宮区、鉄道博物館

 大塚さんの功績を紹介する「伝説のアニメーター 大塚康生パネル展」(津和野町主催、山陰中央新報社企画)が同町後田の町日本遺産センターで開かれている。入場無料。3月28日まで。問い合わせは電話0856(72)1901。 私が大塚康生さんのお名前を初めて拝見したのは、日本初のカラー長編漫画映画「白蛇伝」のタイトルで1958年、私が小学校4年生のときだった。

 「動画・大塚康生」のタイトル文字をなぜかしっかり記憶していた。当時から東映動画やディズニーの漫画映画に興味を持ち、将来はアニメーション界への願望が強かった。

 社会人としてスタートして、当時発足したばかりの大塚さんの盟友でもある楠部大吉郎さんの主宰するAプロダクション(現・シンエイ動画)の制作部に入り、アニメの仕事に携わることになった。その一方で休日には好きなSLを追って東北、信州あたりへSL撮影にも出掛けていた。

 69年に大塚康生さんが東映動画から新企画のためAプロに移籍された。憧れの大塚さんと同じ職場でご一緒することになったのである。カメラ好きの大塚さんは私のSLの写真に興味を持たれ、D51や8620形の写真を見て「いいねぇ、このハチロクは」と言い、資料用に作った暗室に入り現像、プリント作業にも付き合ってくださった。

 ある日、大塚さんが古ぼけた大学ノート2冊を見せてくださった。表紙には「蒸気機関車昭和19年、20年」とタイトルされていた。それを広げて私は驚きを禁じ得なかった。14歳の大塚少年が終戦間際に故郷の島根県津和野を始め、広島、山口県小郡、下関でスケッチした蒸気機関車の姿で、私は戦時下の大塚少年が機関車を思う気持ちに感極まり涙した。大塚さんは私のSLファンの大先輩であると同時に、熱心な機関車少年だったのだ。

 3年間のAプロ勤務を経て、私は大塚さんが立ち上げたテレビ版「ルパン三世」が縁で、原作本の週刊漫画アクション(双葉社刊)でSL連載を担当することになり、大塚さんはアニメ界から快く送り出してくださった。

 連載中に全国のSLを追って旅しているうち、気になっていたのは、あの2冊の大学ノートだった。久しぶりに大塚さんを訪ねて機関車絵に再会したが、紙の劣化が著しく、絵の一部は消えかかっていた。すぐにこの貴重な大塚さんの絵の原点ともいえる機関車スケッチのデジタル化を進めた。こうして刊行されたのが「大塚康生の機関車少年だったころ」(南正時責任編集・クラッセ刊)と、2020年7月刊の「大塚康生画集」(大塚康生著・玄光社)である。

 今年卒寿を迎えられ、ますますお元気な大塚康生さんとは今もSLの師弟関係にあり、時々関東近郊で大塚さんと共に、大好きなSLの姿を求めて撮影を続けている。

  (鉄道写真家)

 

 大塚康生 島根県津和野町出身のアニメーター。日本初の長編カラーアニメ映画「白蛇伝」(1958年)で原画を描いた。ジープやバイクなど乗り物やメカの描写には定評があり、宮崎駿氏の映画「ルパン三世 カリオストロの城」(79年)で担当したカーチェイスシーンは有名。2002年に文化庁長官賞、19年に第42回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞した。89歳。