昨年3月まで本紙オピニオン面でコラム「コスパの果てに-令和の効率社会」を連載していたノンフィクションライター・稲田豊史さん(51)の新著が発刊された。表題は『本を読めなくなった人たち』。
「読めない」でも「読まない」でもない。“読めなくなった”としたのは、本人の意志や能力の欠如で読めない(読まない)のではなく、身を置く社会の変化で「読めない体」になってしまった側面もあるのでは、との思いを込めたそうだ。
なるほど、1990年代以降生まれの若者は、物心ついた頃からパソコンやスマートフォンが身近にあった。情報を得る手段はインターネットの記事やニュースが大半で、しかも無料。「わざわざお金を払って分厚い紙の本を読むのは無駄」と思うのも無理はない。スマホでネットの短文ばかり読んでいるため、長文を読むのが苦手な若者も増えている。
だが考えてみてほしい。ネットで自分に必要な情報ばかり集めていては思考が凝り固まってしまう。さまざまな本を読んで“無駄”な知識を蓄えることで、新たな発見や発想を育むはずだ。稲田さんもコラムで、知識を砂場の山作りにたとえ「裾野を広く作った方が山を高くできる」と呼びかけていた。
“読めなくなった”のは本だけではない。新聞にも当てはまる。だからこそ「気付き」を少しでも提供したいと、このコラムの570文字の中で日々あがいている。(健)













