切迫早産で入院中、精神的にきつかったのは診察前の待合時間だった。外来の待合室で診察を待つのだが、周りはみんな元気(そう)な妊婦さんばかりで、私だけ入院着で点滴につながれ、車いすに乗っている。「同じ妊婦なのに、なんで私だけ」。診察を終え、さっそうと帰っていく妊婦さんと、自分の姿とを比べて、そのたび自己嫌悪に陥った。

 妊娠・出産は奇跡の連続だ。そもそも妊娠自体、確率が高いものではないのだし、妊娠中も出産時も産後も、母子とも健康なのが当たり前ではない。産む直前まで元気に働ける人もいれば、私のようにずっと点滴につながれて安静の人もいる。つわりの軽重や、定期健診で異常を指摘されるなど、経過は人それぞれなのだが、どうしても「正常」「多数派」でないことに目が向き、自分を責めてしまった。

 そもそも何が「正常」「普通」かなんて(医学的な数値を除いては)誰にも決められないはずなのだが、産後や育児中にもその念は付きまとう。自然分娩か帝王切開か、母乳かミルクか、など。一人一人、経験してきた過程は違うからこそ、何げない一言に人知れず傷つき、苦しむ人が実は多いのではないか、と考えていた。

 私も、長期入院・安静がつらかった時、「仕事休めてラッキーと思ったらいいよ」とか「ずっと寝ていられるなんていいな~」などと言葉を掛けられた。励まそうと言ってくれたんだと思うが、自分の本心との温度差に苦しんだ。そして、自分の気持ちなんて誰にも分からないんだ、とさらに落ち込んだ。

 「多数派」ではなくて悩んでいる人がいたとして、他の人はその気持ちをある程度察することはできる。しかし本当の苦しみは分からない。たとえ経験者同士でも、置かれた状況は一人一人違う。本当につらいときに、助言はいらない。ただ見守ったり、話を聞いてくれたりするだけで救われる。自戒も込め、そんな気付きを得られた入院期間だった。