76年前の被爆体験を自らの心のやすりとしながら、鋭くも愚直に核廃絶を訴え続けた広島の被爆者で、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の坪井直さんが96歳で天空へ旅立った。
反核の巨星落つ―。心優しく包容力ある人柄で知られた坪井さん。「ネバーギブアップ」を信条とした不屈の闘士の逝去をこう受け止める人も多いはずだ。
被爆国のオピニオンリーダーとして世界中の人々に被爆体験を証言し、平和と反核の強靱(きょうじん)な哲学を紡ぎ続けた坪井さんの足跡。心から敬意を表したい。そして、坪井さんが次代に託した情熱の炎とヒューマニズムの精神を絶やしてはならない。
「最後の一呼吸が終わるまでは核廃絶に全力を尽くす。私はあきらめません。核兵器は絶対になくさなければならない」
被爆70年を迎えた2015年8月、坪井さんは広島市で開かれた国連軍縮会議の壇上で声を振り絞りながら、こう発言した。各国の政府関係者や核保有国の防衛相経験者らが参加した会議のハイライトだった。
坪井さんは出席者の前で「被爆体験をまず話させていただきたい」と切り出し、1945年8月6日を回想し始めた。
20歳の男子学生は通学途中、爆心地から約1・2キロで被爆。爆風で10メートル以上飛ばされ気絶したこと、自分のすぐそばに爆弾が落ちたのではないかと考えたこと、背中のシャツが燃えてどす黒い血が流れたこと、そして自分が「死ぬるんだな」と実感したこと…。軍国青年だった坪井さんは「よくもアメリカ、この敵よ。いつか仕返しを」と思ったそうだ。
一方、阿鼻(あび)叫喚と化す核惨事の現場において、救援に来た軍隊が若い男性ばかりをトラックの荷台に載せた光景を振り返り、次のように語った。
「順番に助ければいいのに…。人間は戦争の道具だと。これが軍国主義」。か弱き市民の命より戦場でのマンパワー確保を優先する「戦時の論理」の愚かさとおぞましさを嘆き、自身が死線をさまよう中で目にした国家の非道ぶりと非人間性を鋭敏な感性で糾弾した。
坪井さんが警鐘を発してから6年。世界には約1万3千発の核兵器が現存する。坪井さんは2016年、現職米大統領として広島を初訪問したオバマ氏と歴史的な握手を交わしたが、米国は今も中ロと競いながら核の近代化にまい進している。
また北朝鮮は新たなミサイル実験を繰り返し、核でにらみ合うインドとパキスタンは緊張関係が続く。核リスクは減少するどころか増大しており、人類滅亡を午前0時に見立てた「終末時計」は残り100秒だ。
「核なき世界」が遠のく現況に無念なのは、坪井さんだけではない。近年約9千人の被爆者が毎年この世を去っており、きっと同じ思いで最期の瞬間を迎えた方が多いのではないか。
被爆者の心身を苦しめ続け、戦後の人生や家族ら周囲をも翻(ほん)弄(ろう)した「絶対悪の兵器」。被爆者の悲願がかない、核兵器禁止条約が今年発効したが、被爆地選出の岸田文雄首相は核の傘を差し掛ける米国に配慮してか、締約国会議へのオブザーバー参加に後ろ向きだ。
核抑止に依存する平和と安全に持続可能性はない。現状を「正気の沙汰ではない」と言い放った巨星の遺志を継承していきたい。